岩波ホール閉館ニュースは映画ファンの間を駆け巡った。なんという悲報!
また一つの文化スペースが消えて去ることに・・・。 1968年オープン以来半世、ホールは映画好きな私の青春と共にあった。ハリウッド映画ではない世界中の名画を紹介し続けてくれました。
確かに、いつもガラガラだったけれど、よく頑張っているなあ・・・と感心していた矢先、ついこの間も改修工事が行われたばかり。 コロナが原因とのこと、善意だけでは運営はできないことを痛感。
神保町駅のA6改札を出て階段を上って行くと入り口がある。(最近は階段を上るのが辛くなっていた)
先月も観に行ったばかり、観客は20人ほど。
思いがけず、先着5名様にプレゼントというわけで、1冊いただいたのだが、これは閉館の前兆だったのだろうか?出版社は岩波ではなく、文春社、2000年の出版である。
著者の故高野悦子は岩波ホール初代総支配人。満州育ちの高野家の三姉妹は奉天でも頭脳明晰で有名だったらしい。良き両親と家柄に恵まれ、当時のフランス留学も果たしたお嬢様が映画の仕事にのめり込んでいく。
著者は母の介護を通して、日本の介護システムの現実に遭遇。
介護を社会化し、その大変さを共有するシステムを国が作る介護保険制度は、自立を支える希望の光に見える。ところが、まだまた政治的に不透明な中で、介護保険は社会的相互扶助から、家族の中に押し戻され、形骸化されようとしている。日本では、政治的決定の場に女性が少ない。家庭の中で働いたこともない男性ばかりが何人集まっても、本当に生活に役立つ知恵は出てこないだろう。日本の未来を決定する少子化問題や、老人福祉問題は、優れた女性の政治参加を必要としている。北欧の福祉先進国が、まず、女性政治家の数を男女平等にするための選挙システムを作ったということが今ではうなずける。
お正月らしいことは何もしないのに、除夜の鐘も聴こえないのに、いつの間にか新しい年になってしまった。ウイルスの蔓延がどうなるのか、大国の騒動はどうなるのか・・・不安材料もしきり。
元旦の夜の楽しみは、ウイーンフイルのニューイヤーコンサートのライブ放映。お馴染みの学友協会大ホール(黄金ホール)の華麗な映像。昨年は無観客、今年は1000人の有観客。観客はしっかりマスク着用。
時には演奏者も唄ったり、和やかなムード。
今年の花のテーマは薔薇??
コントラバス奏者の真剣な顔
シャンパンポルカでは本物のシャンパンも登場
当年80才のバレンボエムはピアニストでもあり、故名チェリスト、ジャクリーヌ・デユプレの夫、故エドワード・サイードの親友でもあった。今回で3度目の指揮。
⁂ 来年の指揮者は オーストリア人のフランツ・ウエルサー・メスト
NHKの映画は在庫切れか?古い映画が繰り返し放映されている。 1954年のヒッチコックの名画「裏窓」を見て発見したことがある。 骨折したジェームス・スチュアートが孫の手を使うシーンである。日本の温泉宿の土産店ではしばしば見受けられるが、数年前、台湾で購入した孫の手は背中を掻くのには超便利。
中国に由来するらしいが、17~18世紀のヨーロッパ上流社会では、象牙や銀などの貴金属による装飾があるものが使われたのだとか。当時の貴婦人たちの着衣は毎日脱ぎ着せず、シラミなどがいて痒みをかんじることが多かったからと言われる。 back scratcherと言う固有名詞もあり、決して日本だけのものではないということ。
痛し痒しと言う言葉があるが、果たしてどちらが辛いか?
コロナで引きこもっている間、岩波で上映していた「ブータン山の教室」を見逃していた。吉祥寺のミニシアターで上映中との情報で駆けつけた。 ブータンの僻地では、21世紀の今、こんな生活が現実に行われていることに感動。
「気候変動、コロナ禍、文明崩壊の危機、唯一の解決策は贅沢な脱成長経済だ」と言ったのは、学者作家の斎藤幸平氏である。この作品を観たら斎藤氏もニンマリかも。
あらすじ:
教員をする気がなく、オーストラリアに行ってミュージシャンになりたい主人公のウゲン。
やる気のないウゲンを教官は呼び出し、ブータンの僻地にある「ルナナ」へ行って教員をしてくるようにと伝える。
標高4800mの大自然の中でヤクと共に暮らす村人たち。
子どもたちは教員が来ることを楽しみに待っていた。
勉強したいまっすぐな子どもたちと触れ合い、少しずつやる気になるウゲン。
授業の内容を工夫したり、ヤクの歌を教わったり、電気もトイレットペーパーもないルナナでの生活に馴染んでいく。
ウゲンの心の変化と、ルナナで暮らす人々の心の美しさが際立ち、自分の居場所を探していく。
コロナ禍の五輪狂想曲が鳴りやんだと思ったら、その総括をする間もなく、災害警報が列島を駆け巡っている。 まるで梅雨再来の日々。そして、ヒロシマ、ナガサキ、敗戦記念日を迎えた。
戦後世代も、戦争って何なのか、問う間もなく後期高齢者に。歴史の時間でも近代史になると駆け足で、胡麻化されてきたような気がする。
そんな中で、毎週土曜日「関口宏の近現代史」BS4で12:00という番組は 明治維新から敗戦までの歴史を半藤一利氏の盟友、保坂正康氏がわかりやすく、画像を交えながら解説してくれる。 番組タイトルは是非「保坂正康の近現代史」と変更してほしいものである。 時には、当時流行していた唄なども聴くことができ、何といっても映像は説得力がある。
こんな授業をもっと早く、受けたかった。 学術会員ボイコットされた加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選んだ」も参考になる。 国家というものはいつの時代も嘘で国民を翻弄させる、国民を足蹴にしての政治家の利益ファーストであるとを痛感。
悪気なく、フォロコーストもアウシュヴィッツも知らない人たちが沢山いるけれど、試験に出ないから学ぶ必要もなかったのかもしれない。 五輪総合監督とやらが開催前日解雇され、初めてユダヤ人が何かを感じさせられた人も居るかもしれない。
首相が、心にもないメッセージを棒読みすれば、文章が抜けるのも当然かもしれない。お疲れならば、特別室に入院を!
保坂正康:1939~
関口氏が質問し、保坂氏が答える。
このところ、連日、トルコドラマ「ANNE」にはまっている(BS4 月~金の14:30~15:30)。
もともとは日本テレビ制作のヒットドラマ「マザー」のリメイクらしい。それが、10年前、トルコで放映され、またまた高視聴率だったとのこと。それを再輸入??
日本ではよくある、シングルマザーとその新しい夫による児童虐待がテーマである。 子供には甘いトルコ社会ではかなり、ショッキングだったのではないだろうか。
録画して、就寝前に観るので、不眠症には良くない( ^ω^)・・・
主人公の少女の演技が凄い!
放映当時、友人のトルコ人の義母さんも夢中で観ていたそうである。
歯が欠けて、新しい歯が生えるほどのロングラン。
イスタンブルの馴染みの映像も現代トルコ語もトルコファンとしては嬉しい。
小遣いを稼ぐために、街角でテイシュを売る(テシュは配っていない)。たまにボランテイアで買ってくれる人も居る。 現実によく見かける風景。
心は飛んでイスタンブルだが・・・現在トルコのコロナ対策では年齢ごとに外出許可時間制が出されているそうである。時間内に用事を済ませなければならない。
65歳以上:10:00~13:00
20歳以下:10:00~16:00
その他は:10:00~20:00
ヨーロッパから飛んで3時間だからコロナウイルスも簡単に飛んでくる。
余りにも長期間の内戦が続いているシリア。最近はコロナ禍でニュースからも遠ざかっているが、今なお悲惨な戦闘が継続している現実を忘れてはならない。久しぶりに、電車に乗って、開映している岩波ホールへ向かった。
ドキュメンタリーではなく、映画なのだが、余りにも現実的で嘆かわしい。この内戦の仕掛け人は誰なのか?を見極めたいと思うが、その実は複雑怪奇。いつの世も、犠牲になるのは弱者である。
カーテン越しに覗く世界は戦場。ダマスカスのアパートの一室での二四時間。
個人的には、1990年に訪ねたシリアはどこへ行ったのか・・・・当時出会った現地の人々や街の様子を想い出す。
監督:フィリップ・ヴァン・レウ
岩波ホールのコロナ対策は実に徹底していて、入場券裏に、名前と電話番号を記入、座席からトイレに至るまで、良心的な配慮には岩波のプライドすら感じた。
ホールは10月~2月まで改修工事の為、閉館の予定。
この映画は毎年自主上映会のタイトルになっていたのだが、見逃していた。 ところが、なんと、NHKのEテレで深夜に放映されたのである。天下のNHKも、心を入れ替えてくれたのかなア・・・と思いきや、「深夜」であることが不可解。
1953年の制作後、「反米的」という理由で、公開禁止されたそうであるが、実際映像を見る限り、ナニが反米なのか理解できない。 戦後8年経過のヒロシマはまだまだ傷跡が生々しく、出演者の市民たちも記憶に忠実に演じているだけ。 それゆえに、映像はリアル。 物語というより生々しい映像が映し出され、リアリズムそのもの。 広島出身の月丘夢路はノーギャラで出演したそうである。
出演者:月丘夢路、山田五十鈴、加藤嘉、岡田英二等々、今は亡き名優たちが登場。
制作:日教組プロ (上映禁止の理由はここかな?)
監督: 関川秀雄 助監督: 熊井啓
瓦礫の中からはい出した母:山田五十鈴
教え子たちと川に飲まれる教師 :月丘夢路
小学生の時に、学校映画で見せられた新藤監督の「原爆の子」は原爆ドームだけが印象深かった。この作品を見ていたら、原爆に対する恐怖感がもっと強かっただろうと想像する。
正面のドームがなかったら、単なる美しい公園。映画の製作された当時は、まだまだ瓦礫などが残っていて、その風景が映像に生かされている。
資料館内に、展示されていたこの春の「絵」は、希望に満ちていて、心地よく、悲惨さを忘れさせる。(作者名、忘れました)
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