またか! 21年前の地震の二の前が起こった。トルコ愛好家としてはとっても哀しい惨事である。 被災地は東トルコ旅行で訪ねたところばかり。簡単に大丈夫?とか元気?とかいう言葉が何か嘘っぽくなるので、しばらく沈黙していたがやっと繋がった。
『物資が足りない、届かないと日本メデイアは言っているけれど、物資はトルコにたくさん届いている。それを分別して其々の県に運び、被災地域に運び、被災者が集まる集団の場所で被災者個人の手に渡す! これが人手不足で荷物が送れない、交通路が不備で被災地に運べない。ものを送るのは簡単だけれど被災者の誰かがそれを手にするのはとても時間がかかる』
3・11の時も同じだったけれど、問題点は共通している。
こんな家があった。レンガを重ねて一晩で建てたような家、窓にはガラスの代わりにビニールが。中の女性は笑顔で手を振ってくれた。こんな家の場合は意外と逃げられるだろうが、経済成長とともに街中に建設された違法建築の高層アパートが問題だった。
おばあちゃんと孫たち。
川べりでピクニックを楽しんでいる集団。プレゼントとしてピンク色の小冊子「女性の生き方」をいただいた。東部ではイスラム色が強く、まるでイランの旅のような気分になった。
1997年6月撮影
懐かしい! 絵の得意な友人から大好きなスタンブルのトラムの絵が届きました。とってもリアル。 コロナロックダウンのご時勢では観光客も激減。イスタンブルに関係のある知人たちに転送したら、「望郷の念で涙が出ます」とのコメントが届きました。 一度は閉鎖されたトラムは観光の為、再開始になって久しい。イスタンブルの街のノスタルジックムードをさらに高めています。
pained by H. Watanabe
五年前、トラムの車庫近くにあるホテルに泊まりました。トラムも深夜はきちんと睡眠をとるのです。
イステックラル通り(イスタンブルで一番有名な通り)は両サイドに古いビルと老舗ショプが並んでいます。
世界にはまだまだトラムはあるけれど、目抜き通りをトロトロ走る赤いトラムは格別。 タクシムとトネル間を往復し、観光客にも人気。また行きたいなアアア😿
時々、どこかで会ったような人と出会うことがある。 取引先の人かと、軽く会釈をして良~く考えると、実はテレビでみかけるひとだったり、滅多に行かないクリニックのドクターだったり・・・。
昨年秋に訪ねた「宮島」では、寺の境内でテントを張った蚤の市のような店で、絵葉書を買った。店主とあれこれ話をするうちに、誰かに似ていると思いながら、どこの誰かが想い出せない。
誕生日を聞いて、「花言葉」を書いてあげる・・・と筆を執って、サラサラと書いてくださった。
なかなか達筆、きれいな和紙の封筒に入れて渡してくれました。店主の名前は皿田喜美子さん。
やっと、想い出した! 4年前、イスタンブルのオルタキョイジャーミーの前で売られていた人形だった。私が作った人形よ!と言っておばさんが売っていた。今度行く機会があったら、是非買って来ようと思うのだが、果たして売っているだろうか・・。
「凱旋門」は世界に数あれど、なんといっても本命は、1806年にナポレオンの命により1836年に建設されたパリのエトワール凱旋門。ナチのパリ占領時には、あのヒットラーもこの門の前に立った。
レ・マルクの小説『凱旋門』は映画にもなり、シャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマンが主演。
二人はゲシュタポに追われながらこのカフェ「フーケ」でデートを重ねる。
その時、二人が飲んでいたのはカルヴァドス(リンゴ酒)。このお酒は長年の憧れであったが、最近この季節限定チョコレートが発売されている。
そして、我もバックパッカーでシャンゼリゼへ繰り出した。さすがに、リュックはホテルに置いて・・・。1971年3月の巴里は雪も降ったし、懐も寒かった・・・(1ドル=360円だった)。
最近のコメント