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旅の風景

2018年8月29日 (水)

機内の白煙 

成田からドーハへ飛んでから、バクーへの飛行機に乗り換えたのだが、機内はガンガン冷えて、白い煙が蔓延。 外気との温度差たるや何度だったのだろう・・・・。 離陸すると煙はほどなく消えた。

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まるで冷蔵庫から出てきた機体のように、ひんやりとしていた。食事はまずかったけれど、アジア系の乗務員の態度もよく、トイレも広い。 時間通りのフライトは心地よかった。

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カタール航空は最近人気上昇、日本へは連日飛んでいる。シンボルカラーはワインレッド(CAの制服も、座席も・・・)。

2018年8月21日 (火)

十字架峠 ~ コーカサス山脈

これがコーカサス山脈なのだと納得した風景。 この地方は東方正教会の信仰が熱く、教会以外でも十字架が目立っている。大自然に囲まれての深呼吸。

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       緑の季節だけれど、雪景色もまた美しいだろう・・・

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          本格的にトレッキングする人たちもいる。

2018年8月 5日 (日)

セヴァン湖の花嫁

セヴァン湖はアルメニア最大の湖。 ソ連時代には灌漑に大量使われたため、水量が大幅減。 1049年に1360㎢だったのが、2005年には940㎢となり、セヴァン島は現在半島になっている。

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雨が上がって、太陽が顔をだした。これからセヴァン修道院への階段を上がらねば・・・。

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目の前を白いドレスの女性が駆け上って行った。 結婚の記念写真撮影らしい。 カメラマンを率いていた。 こちらも、どさくさに紛れてパチリ!

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    果たして大学の卒業式が終わってのジューンブライドだろうか? 

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               湖と古い教会が絵になる

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              9世紀の古い教会は現在も現役

2018年7月20日 (金)

シェキの市場で ~ アゼルバイジャン

アゼルバイジャンのシェキでは、市場に立ち寄った。 「市場」はその土地の生活が手に取るようにわかるので面白い。

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先ず目にしたのは缶の蓋だけが売られていたこと。 豊富な果物でジャム作りが日常的であれば、瓶より蓋の消費が多くなるだろう。


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解体したばかりの肉に埃がつかないように、丁寧に撫でていた。 レストランなどでは1頭ごと買うのかもしれない。客の要望に応じて、この部分、あの部分と切り分けても販売するらしい。



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とにかく、初夏の季節柄、果物が豊富。確かに日本の方が、見てくれは美しいかもしれないけれど、値段と味はかなわない。

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これ、私が作ったヨーグルトよ~とおばさんは笑顔だった。 旅の途中で買うわけにもいかず・・・・。

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おや! これは薔薇の花びら。  朝積みらしい。 ジャムにするのだとか。一袋で、一体どのぐらいのジャムができるのだろうか? 

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この白い粉は「石鹸」!  27年前まではソ連占領下だった名残だろうか?

2018年7月14日 (土)

アララット山と柘榴 ~ アルメニア

アルメニアでは「アララット山」と「柘榴」が国家のシンボル。日本の富士山と桜のような関係かも。

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アルメニアから見たアララット山、(5、137m)はノアの箱舟が漂着したという伝説がある。 トルコとの国境も近い。 


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真っ赤な柘榴の花があちこちで咲いていた、実の収穫期は秋。 柘榴酒やジャム等々、柘榴製品は多岐にわたり、柘榴の木の木工細工も盛んである。

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どことなく、アズナブールの風貌のお兄さんが店番をしていた。 10個ほど購入した赤い柘榴のキーホルダーは好評で手元に残りそうもない。

2018年7月 7日 (土)

無形文化遺産のパン ~ 「ラバッシュ」

日本の和紙や伝統芸能などと同様、アルメニアの超薄いパン「ラヴァッシュ」も無形文化遺産に認定されているそうである。 インドのナンよりもっと薄く大きい。

 

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普通のパンとともに、折りたたんで食卓に。 具を挟んで(まるで海苔巻きのように)食べるのだとか。

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街のあちこちでパン焼き風景が見られる。一人は綿棒で伸ばし、もう一人は釜に張り付ける。

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伸ばした生地をアイロン台のような布製のクッションに載せてから、釜に張り付ける。 

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あっという間に、焼きあがる。今でもマキを使用しているのか、ガスなのか・・・・不明だけれど、釜はかなり熱そうである。

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ここでもおばさんが焼きながら売っていた。 カメラを向けるとVサイン。写す側もガラスに反射して複雑な画像になった。

2018年6月30日 (土)

石ころじゃなくて「羊」 

コーカサス山脈をバスで横断していると、時折、牛や、羊や馬の放牧に出会う。眠れないときは、羊を数えるという話があるけれど、こりゃあ数えられない!山の石ころかと思ったら、ムクムク動いているではないか・・・。

興奮して、シャッターを切るのだが、揺れる車体からでは殆ど、ボケボケ。

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  こんなに美味しい草を食べているのだから肉は絶対美味しいハズ!

 

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           手前をアップすると羊だとわかる

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              羊飼いは馬に乗っていた!

2018年6月27日 (水)

「オペラハウス」で卒業式 ~ アルメニアの首都エレヴァン

1991年にソ連から解放されて27年、もはやロシア語を強制されることもなく、落ち着いてきている。旧ソ連支配下の国らしく、日本にはないオペラハウスが存在。

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何か賑やかそうなので、近づいてみると卒業式が行われた様子。 友達や家族との記念撮影をしていた。

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ハウス横にはプロコフィエフ、ショスタコーヴィッチと並んでソ連三大巨匠の一人、ハチャトリアン1903-1978("剣の舞"の作曲家)の銅像があった。

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        アルメニア紙幣50ドラムにも肖像が使用されている


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          こんな普通のスタイルの卒業生も多いけれど、

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華やかな衣装のムスリムの学生たちが目を引いていた。近国の留学生だろうか? 単に宗派が違うだけだろうか?

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2018年6月24日 (日)

旅疲れ

体力の限界というべきか・・・いやはや、こんなに疲れた「旅」ははじめてだ。秘境旅行で有名な旅行社なのだが、以前も利用したことがあるので、甘く見ていた。

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深夜発で早朝現地着、そのまま観光。8時から8時まで振り回され、不眠症の身には疲労がどんどん蓄積されていく。 無駄がなくてい良いと評価する旅人もいるけれど、「疲れた」を連発していたおばさんもいた。 旅はもっとゆったりと楽しみたいものである。
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ドーハ経由でアゼルバイジャン→ ジョージア → アルメニアへと緑のコーカサス山脈をソ連の作った軍用道をバスで横断。途中、牛、羊、馬の群れが道路を塞いだり、美しい野の花や果物が通り過ぎる。 食事はヨーロッパなどよりはるかに美味しい。






2017年11月22日 (水)

"藍玉で財を成した” ~ 深谷市のシンボル

川越の友人が、深谷市の渋沢栄一の生地を案内してくれることになった。  

江戸~明治~大正~昭和と日本近代化を走り抜けた偉人の原点。 まずは、栄一の従兄で論語の師匠でもある尾高新五郎宅を見学。江戸末期の建物で40年前まで子孫が住んでいたという、現在は深谷市に寄贈。 利根川氾濫時の床の跡や、倒幕密談をしたという部屋など。

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片隅に、乾燥した「藍玉」とレンが展示されている。藍玉にはすでに菌はなく触ってみたがかなり重い。 子供時代、栄一は父親とともに藍玉を背負って注文を取り歩いたという。子供ながらに専門知識を踏まえて商才があったらしい。

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                典型的な養蚕農家の尾高宅

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青い目の人形

1927年、軍国主義が台頭する中、米の宣教師と日本の実業家(栄一)との合意で平和と友好のシンボルとして12000体の人形がアメリカから送られた。残念ながら鬼畜米英主義で殆どが燃やされてしまったが、唄だけは残った。(作詞:野口雨情)。

♪青い眼をした
お人形は
アメリカ生れの
セルロイド
日本の港へ
ついたとき
一杯涙を
うかべてた
わたしは言葉が
わからない
迷ひ子になつたら なんとせう
やさしい日本の
嬢ちやんよ
仲よく遊んで
やつとくれ♪

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  明治23年に建てられた栄一の実家(先ごろ、天皇御夫妻も訪れた)

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公民館前の銅像: 当初深谷駅前に建っていたのだが、巨大すぎて足元しか見えないので移動したそうである。 身長150~156センチというので、6センチの誤差はマゲの高さだったとのこと=カワイイ

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                                         Before & After

1867年、ナポレオン三世の開く博覧会へ徳川昭武に随行し、渡欧。通訳はあのシーボルト。滞在中に、徳川幕府の倒れた報を受け、急きょ帰国を急いだ。マゲは巴里でちょん切ったそうである。

銀行・大企業・大学等々設立に尽力を注ぎ、先見の明ある偉大な人物として身近に感じるのだけれど、江戸末期に生れ、漢学論語に精通、政治にも宗教にも間隔を置き、最後まで実業家を貫いた。今の日本に存在したらどんなことを考えるであろうか?

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末息子、渋沢秀雄氏の著「渋沢栄一」は親としての談話などが掲載され、とても興味深い。 尾高宅で密かに売られていた(1冊150円也)。

あやかって、論語でも読んでみようか・・・・と思うのだが、「論語読みの論語知らず」になることは見え見えである。

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