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旅行・地域

2018年12月 1日 (土)

晩秋の平和公園 ~ ヒロシマ

念願のヒロシマ行きがやっと実現した。 駅から路面電車に乗って原爆ドーム前で降りると公園が広がっていた。 ドームはポツンとどこからか移築されたかのように近代的な空間の中に佇んでいた。

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平日の雨日和、人出は少なかった

 

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資料館では滋賀県の小六修学旅行の団体が何やら感想文をまとめていた。最近、生々しい蝋人形は刺激が大きいので撤去したのだとか・・…なるべく悲惨さを伝えないような教育方針が見え見え。

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触れてもいいですよ、という被爆瓶が陳列されていたが、負の遺産としては、こんなもんじゃないだろう・・・と言う気がしてならなかった。

売店では平和のシンボル折鶴グッズがたくさん売られていた。

「平和」は折り鶴に押し付けて、願わくはドームも撤去したい・・・というA氏の思惑をビンビン感じてしまった。

 

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     余りにも有名な碑文、本当に繰り返さないで欲しいものです

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天心の三日月の上に 幻でない母と子の像

永遠の平和の象徴 

童子よ 母の愛につつまれて 金のトランペットを吹き鳴らせ 

                                            (草野心平)

2018年6月 2日 (土)

「旅支度」

久しぶりに、飛行機に乗って異国(コーカサス地方)への旅に出ることにした。ワクワクするというよりは、準備するものがいろいろあって、面倒くさい。目覚まし時計、懐中電灯は電池切れ、早速100円ショップで間に合わせた。 湯沸し器も引っ張り出した(変圧のコンセントも忘れないように)。

おまけに、胸痛、膝痛、腰痛、チョット歩くと足も痛い、歯もおかしい・・・、旅行保険には入ったけれど、今まで以上に不安が伴う。

しかし、同行者は88才と82才の辺鄙旅行が大好きなご夫婦なのだ。 20年前イランで出会って、10年前はキプロスの旅で一緒だった。元気を出して出発しなければ、それなのに弱気になってしまう自分がいる。

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他にも、血圧計や体温計と常備薬・・・・我身を守る小道具が、あるあるある。

ツアーには、最近はオジサンの個人参加も増えているらしい。 元官僚とかいう威張り癖のあるオジサンが居ないことを願うばかり。  

2018年1月16日 (火)

「柳橋」を渡る

柳橋といえば、時代劇でおなじみ、江戸中期の花街。当時、芸者は新橋より格上だったそうだ。東京オリンピック以後は廃れ、現在は川を挟んでマンションが多い。 田舎の長屋暮らしの自分には違和感があるものの、住めば都かもしれない。 ごく最近、この近くでの句会に参加することになった。

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現在の橋は昭和4年完成の小さな鉄の橋、それでも懐かしい心の風景である。

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20年ほど前、ここから東京湾の屋形船遊覧に便乗したことがある。 船酔いで名物てんぷらも喉を通らず、全部カモメがさらっていった。

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「ここに花街ありき」と言わんばかりに「芸者かんざし」が橋を飾っている。

2016年12月12日 (月)

『自由学園』 ~ 東久留米

12月10日: 

東久留米郷土史研究会主催の見学会に参加し、自由学園の外観を見学。 キリスト教精神を基本に1921年豊島区に創立、1934年東久留米に移転。 、広い敷地に驚く。 建築したのはライトの弟子、遠藤新氏。 どことなく明日館のある旧校舎と似ている。

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        木造校舎は現在も小学部として使用されている

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    校内の木々は集められ、かまどでの炊飯の燃料として生かされる

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食堂に向かう学生たち。「こんにちわ」と挨拶していく。 制服はないそうであるが、同じようなチェックのスカートにジャケット。 男子部もあるということだが、一人も見かけなかった。 男女同クラスではなさそうだ。

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           ここは駐輪場、かわいい手書きの看板があった


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学園内の畑、幼稚園から農作にかかわり、収穫したものは自分たちで調理。

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               作物を運ぶリヤカーは必需品

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戦時中は『自由』という名前が気に入らない!と学園生は最も過酷な戦地に送られた。敷地内には犠牲者になった園生の慰霊碑が建ち、生花が添えられていた。

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                  枯れたシバユリ

幼少期を寒村で過ごした幼い日々が蘇る。農家の子供たちは見様見真似で親から農作業やら、マキでご飯を炊くことを普通に習得したものだ。 タイムスリップした、まさに都会人のための自然志向の学び舎のような気がする。 誰かが言っていた、「今、自由学園は不自由学園なのよ」・・・と。

1920年代にリベラルな発想の教育を実現させた創立者の羽仁もと子夫妻の情熱が100年後も継続していることに感銘を受けたが、現在の学園生たちはどんな問題を抱えているのかが気になって仕方がない。

 

2016年7月 1日 (金)

『雨上がり』 ~ 哀しみのイスタンブル

古希を迎えた日は、哀しい日にもなってしまった。この1年、日本の茶の間にもトルコニュースは頻繁に登場、トルコはテロですっかり有名になり、観光地は閑古鳥が鳴いている。そんな矢先の空港爆破事件、なじみのエアポートの映像を目前にして、深い哀しみに襲われる。

たった今届いた在イスタンブル友人からのメール:

怒涛の3日間が過ぎ、漸くぶりに普通の日が戻ってきました。
イスタンブール事務所開設のために来たはずの某テレビクルーはまさに爆弾の渦中に! 先に到着していた1名は、すぐに事件現場に直行し、その時刻に着陸予定だった一人はイズミールへ。


最後に来た一人は、空港再開直後に空港到着・・・というわけで大スクープ。彼らは大満足でした。その一方で、事務所開設のための諸準備も進め、私はほぼ寝ずにお手伝い・・・。

こうなると報道関係者以外はトルコに来ませんからね・・・

ガイドたちも報道関係者たちの通訳として働いてます。

今や、イスタンブルは観光客から報道関係者に需要が変化しているということか・・・・。

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🐈 暮に、雪の坂道で保護された子猫の「ハムデイ」、すっかり成猫になって雨上がりのイスタンブルを眺めている。 最近6階からダイビングしたらしいけれど、かすり傷程度で済んだのだとか・・・・・後遺症が出ないことを祈りたい。

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🐈 イスタンブルっ子としては少しの隙間からでもボスポラス海峡を眺めたい(北向きでも西向きでもかまわない)。 友人の息子君のバルコン(バルコニー)からはかすかに海峡が見える。 黒い鍋はマンガル(バーベキュー)用。 気候の良い季節にはマンガルパーテイを楽しむのが常である。 おそらくこの鍋は都会用で煙を抑制できる構造なのかも知れない。

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