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2022年4月23日 (土)

『教誨師』 ~ 堀川惠子の本  

「暁の宇品」(暁の宇品陸軍船舶司令官たちのヒロシマ)を読んで、著者の洞察力と取材力に敬服。広島生まれの広島育ち。大学も広島という著者の背景。他の作品も読みたくなって手にしたのが本著である。

「教誨」とは広辞苑によれば 1)教えさとすこと 2)受刑者に対して刑務所で行う徳性の育成を目的とする教育活動。宗教教誨に限らないとある。

外国映画などで、死ぬ間際に牧師が立ち会う場面がしばしば見受けられるが、相手が死刑囚ともなればどんな対応ができるのか、興味深かった。

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著者が取材してきたのは、14歳でヒロシマを体験し、50年間死刑囚との対話を続けてきた僧侶の渡邊普相(1931-2012)氏。

死刑判決受刑者は執行日まで拘置所に留め置かれ、面会や手紙などの外部のやり取りを厳しく制限され殆どを独房で過ごす。教誨師は唯一面会できる民間人であり、執行現場にも立ち会う。それも無報酬で。

受刑者の色々な例の中で、印象的だったのは「三鷹事件」の竹内景助の例である。昭和24年国鉄三鷹駅で起きた、無人電車暴走事件(線路わきで6名が電車の下敷きで死亡)。人員整理に反対する国労の犯行との筋書きで捜査。共産党員9名と非共産党員の竹内が逮捕。なぜか、竹内だけが死刑判決。最高裁の法廷は「八対七」の僅差で竹内の死刑判決を確定させた。一票を争う死刑判決。そのせいか執行はされず、脳腫瘍で獄死。

まだ記憶にある大久保清はいくら教誨を薦められても「自分は宗教は信じないから」と頑なに固持したという。

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読むほどに、深い人間の闇に吸い込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

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