『荷風』入門
永井荷風の作品を読んだことがなかった。 死の前日までかつ丼を食べ続けたという逸話は知っていた。 大黒屋というその「かつ丼屋」が市川にあるというので、そのうち行ってみよう・・・と思っていたら、1年前に閉店してしまった。
日記は荷風33歳から死の直前79歳まで42年間に及ぶ記録である。上巻は大正6年から昭和11年まで、読むほどに、大正時代にタイムスリップして、当時の風俗や生活が銀座、浅草、玉ノ井・・・と疑似体験できるような気分になる。文体は漢文的なリズムで心地よい。
高級官僚の子息であった、荷風は明治末期にアメリカ・フランスへと遊学。歌劇(オペラ)三昧の日々を過ごす。帰国後、慶応大学の教授に収まり、三田文学を創立・・・文士として大成。
前半は背広に帽子、舶来趣味のいでたちから一変、晩年は着物に、素足で下駄をはいて出歩いていたという。
「荷風追想」は著名文士の荷風の死を悼み、谷崎潤一郎 ~ 川端康成等々、当時のそうそうたる文士たちの追悼集であるが、中でも石川淳氏の「敗荷落日」という辛辣な文章が的を得て、興味深い。
一箇の老人が死んだ。通念上の詩人らしくもなく、小説家らしくもなく、一般に芸術的らしいと錯覚されるようなすべての雰囲気を断ち切ったところに、老人はただひとり、身辺に書きチラシの反故もとどめず、そういっても貯金通帳をこの世の一大事とにぎりしめて、深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいたという。・・・・・・
まだ八〇歳にも手のとどかぬうちに、どうすればこうまで力おとろえたのか。わたしは年少のむかし好んで荷風文学を読んだおぼえがあるので、その晩年の衰退をののしるにしのびない。・・・・・
わたしの眼をうつものは、肉体の衰弱ではなくて、精神の脱落だからである。 言行に脈絡があることはある。ただ、そのことがじつに小市民の愚痴であった。・・・・荷風文学は死滅したようである。
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