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今年のカレンダーの終焉が秒読み。 自分自身はクリスチャンでもないから特別に教会へ行ったり、ケーキを食べたり、ツリーを飾ったりしないけれど、なんとなく世の中がクリスマスモード、なんとなく年の瀬を感じさせられる。
数年前に友人からいただいたポインセチア、赤くはならないけれど、緑の葉がイキイキ。 同じ友人から今年は赤い実のリースをいただいたので、ジョイントさせたら、ホント、なんとなくクリスマスモードになりました。
ふくしまからは林檎が届いたので、木彫りのサンタさんと「ハイ・ポーズ」!
アズナブールとドミンゴのクリスマスソングでも聴きながら、年賀状でも書こうかな???
2019年はあと少し、もう何事もなくすぎますように・・・・。
哲さんが、死んでしまいました。
昨日の夕方のニュースに驚いています。 親戚でもないのに、身内を失ったような悲しみを覚えます。 こんな思いをしている方が大勢いらっしゃることがわかりました。 金だけばら撒く政府のやり方とは対極にある支援の仕方に脱帽。彼の偉大さを改めて感じます。
2年に一度ほど、練馬区での講演会にはそのまんまの姿で、ポツポツと話されて質問にも応えられて・・・またそのうちに元気な姿を見られると思っていました。政局のことはノーコメント、寄付をしてくださるのなら右でも左でもいただきますとおっしゃって会場を沸かせていました。
自らブルドーザーを運転
蘇った緑
世界をひとつかみにする深い洞察と、皮相なものを容赦なく射抜く慧眼と、言葉よりも生き様で命と向き合い続ける真摯さと、そして自分を立派だなんて思ったことのないに違いない、そう感じさせる謙虚さと。
中村哲さんと出会って20年、いつも自分の言葉と姿勢を試され、突き動かされ、励まされてきました。...私を育ててくれた“現場”の、大切な宝の一人。命をかけても惜しくない同志だと、勝手に思っていました。哲さんも、確かに、私を信頼してくれていた。政治家なんて、いちばん信用できない類の人間だと、よく分かっていたはずなのに。
小柄で照れ屋の、見栄やはったりなど利かせようのない日本人の命を奪うのは、わけないことなのかもしれない。でも、哲さんが40年近い歳月をかけてアフガンの大地に染み込ませた汗と思い、そして哲さんが積み重ねた肯定的で建設的な努力は、近寄りがたいほど重い。誰もその前に首を垂れるほどのものだった。
9.11のあとアフガンに襲い掛かった「報復」の嵐を前に、一人で、たった一人で、しかしなんの怯みもなく立った哲さんに出会ったときの衝撃は、決して忘れられない。「爆撃ではなく、食糧を。命の水を」。あのとき、哲さんの声に日本の良心は救われたと、痛切に感じたのです。
それから20年。なぜ、命を奪った?誰が奪った?あまりに理不尽…。
つい2週間前、再開を約束し、来年には本格的に収穫されるだろうアフガン産はちみつを練馬で売るぞ、と話したばかりなのに。
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