"ハマのメリーさん”
「娼婦」という名には哀愁や文学を感じるのはなぜだろう・・・・
すでに風景の一部だったとも言われている、知る人ぞ知る「ハマのメリーさん」の存在を映画を見るまで知らなかった。
メリーさんは横浜の街に立っていたアメリカ将校相手の娼婦だった。晩年は白いロングドレスをまとい、すり減ったヒールを履いて背中を丸め、顔は白塗り、ありったけのモノをガラガラ手押し車で押しながら移動していた。 そのいでたちから元伯爵だとか…いろんな噂が流れていたらしい。
彼女を素材として撮影してきたカメラマンと彼女とかかわりのあった、美容師、ゲイのシャンソン歌手などの聞き込みでまめたドキュメンタリー。
白塗りで歩く姿はまるで土方巽の「舞踏」のごとく、まるで仮面をかぶって変身したかのようである。 プライドが高く、はだかのお金は決して受け取らなかったという。 1995年突然消えたメリーさん。
何であの人は、凛としたまなざしをもっているの?何であんなに背骨は曲がっていても、胸を張っているの?
映画の中で流れる伊勢佐木町ブルースがぴったり相まっている。
(撮影:森日出夫)
かって、イタリアに滞在していた時、一人の女性が下宿の窓から見える路地に立っていた。時々、男が車で寄ってきて何やら話のあと、一緒に乗り込んで行った。 時には、カフェで珈琲を飲んでいたが、冷ややかな視線をものともせず、実に堂々としていた。
パリでは「売春婦組合」もあってストライキもするという話を聞いたことがある。日本でも「吉原」という合法的な遊郭があった。それを禁止したのは市川房江だと恨み節を言っていた男もいたっけ・・・
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