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2016年10月 6日 (木)

「ロング・グッドバイ」 ~ 浅川マキの美学

池袋の新文芸座へ出かけたら、『浅川マキ』(1942-2010)が蘇った。生前、一度もコンサートに行ったことがなかった。今さらそれが悔やまれる。 自分の対岸に存在していた伝説的な歌手。1970年前後はアンダーグラウンド(アングラ)という言葉が新宿あたりに蔓延していた。

改めて、唄に耳を傾けてみると、究極なまでの退廃的唄い方に心を突き動かされる。落ち込んだ時は明るい唄ではなく、思い切り暗い唄を聴いてとことん落ち込むと心は晴れるものらしい。

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ライブ専門に活躍していたから、TVには出なかった。 しかし、根強いファンに囲まれていた。 マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイの曲を日本語に訳して唄う。 横文字では決して唄わなかった。

♪ こんな風に過ぎて行くのなら ♪ 詞・曲(浅川マキ)

いつか また 何処かで 誰かに逢うだろう

あんたは 去ってしまうし

あの娘も あっさり結婚

今夜ほど 寂しい夜はない

そうさ 今夜は 世界中が雨だろう

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上野千鶴子と同じ高校を卒業後、北陸の小さな漁師町役場の「国民年金課」で働いていたが、東京に憧れて家出。寺山修二に見初められる。
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 裏窓 ♪ (詞・寺山修二 : 曲・浅川マキ)

裏窓からは 夕陽が見える

洗濯干し場の様子が見える

裏窓からは

より添っているいる ふたりが見える

だけど 夜風がパタン

扉を閉じるよ パタン

また開くよ パタン

もうまぼろしは 消えていた

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いつも黒いロングドレスを身にまとい、煙草を手放さなかった・・・それだけで、ミステリアス。 浅川マキって何者なんだろう?と思わせる。 しかし、清貧だった彼女は服を買ったり、美容院へ行く余裕もなかったのかもしれない。 ジュリエット・グレコがいつも黒いドレスで唄うように・・・いつの間にか定番になってしまったのかも・・・。 

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当時、加藤登紀子とはとっても仲良しだったらしい。マキは子供・家庭の匂いを嫌ったので疎遠になっていったとのこと。 

2010年1月、コンサート先の名古屋のホテルで急死、最後まで浅川マキ的生き方を貫いた。享年67歳。

★ 写真撮影:田村仁

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