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2016年10月

2016年10月31日 (月)

ハロウイーンじゃなくて ~ 『読書週間』

読書週間という言葉すら、忘れてしまったけれど、巷は何やらオレンジ色というべきかカボチャ色というべきか、慌ただしいお祭りに、幼稚園まで惑わされているらしい。 他国の祭りを輸入するのもいいけれど、イワレも知らずにお菓子くれ!と家々のピンポンを鳴らす厚かましい子供もいるらしい。 我が家に来たら、すごい勢いで「説教」しちゃうかも ・・・。

実は、今、我が国は読書週間なのである。 神保町では古書祭りをやっていた。リュックを背負ったオジサンたちでワンサカ賑わっていたが、文字離れのご時勢になぜか、ホットする光景でもある。 日本にはまだまだマトモな人間たちが住んでいるのだと思い込むことができる。

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レトロ好みとしては、こんな本を読んでみた。 実際に本郷にあったホテル(下宿屋)。 東大生を見込んで、ハイカラな下宿屋を開業したハズが、当時の文士たちのたまり場になってしまったらしい。

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常連は竹久夢二、大杉栄、伊藤野枝、尾崎士郎、直木三十五、石川淳、宇野千代、坂口安吾、湯浅芳子、宮本百合子、広津和夫、三木清・・・・・と続く。

読み続けるうちに、当時の文士たちの身勝手な奔放さにはあきれ果てた。小説家という職業には、ことさらに厭らしさを覚え、まるでTVのワイドショーを見るがごときである。

2016年10月27日 (木)

うすむらさきの花 ~ 「野菊」

昨年の今頃、友人から野菊の株を分けてもらった。 環境の良くない我が家の花壇からいつの間にか消え失せたような気がしていたのだが、静かにそっと咲いていた。

子供のころに、口ずさんでいた文部省唱歌を想い出した。この色が本当の薄紫で、気高い花なんだ・・・・でも匂いはしない。  作詞は児童文学者の石森延男氏(1897-1987)、「コタンの口笛」などの作家である。

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  ♪ 野菊 ♪ 

   作詞 石森延男/作曲 下総皖一 

  遠い山から吹いてくる 小寒い風にゆれながら
 気高く清く匂う花 きれいな野菊うすむらさきよ

 秋の日差しを浴びて飛ぶ トンボをかるく休ませて
 静に咲いた野辺の花 やさしい野菊うすむらさきよ

  霜がおりてもまけないで 野原や山に群れて咲き
 秋のなごりをおしむ花 明るい野菊うすむらさきよ

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2016年10月23日 (日)

「ごりんばし」 という橋

原宿駅からNHKホールに向かう途中、『ごりんばし』という橋を渡った。昔のオリンピックの時に作られた橋らしい。 下は山手線が走っている。

あのころの活気とは裏腹に、何が五輪だ!貧乏老人や貧困若者がわんさかいるというのに・・・という声も聞こえる。小川と森が仲良く肩を並べて握手している様を見ると、どんだけのマネー(税金)があちらへ流れるのかと疑いたくなる。 地震も北上しているし、30年たたなくても東海地震がやってくるかも。 神様も黙っていられなくなったのかもしれないね。

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この橋を渡ると、丹下健三デザインのオリンピックプールが目の前。

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そして、こんな建物もあった。 てっきりアベマリオの爺様の息がかかっているのかと思ったら、実は日本近代スポーツの父と言われる岸清一という人が建てたもので、各スポーツ団体連盟が入居しているとのこと。普通の体育館ではないらしい。 新国立競技場建て替えに伴い、建て替えが検討されているとか。

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2016年10月18日 (火)

トルコからトルコ桔梗が・・・

トルコ在住の友人が急に一時帰国することになった。 5日間の東京滞在のスケジュールを企画して楽しみにしていた。ところがところが・・・・今月初めから風邪をひいていたのが、物凄い咳の発作!微熱もあり、計画は崩れてしまった。

なんて運が悪いのかと愚痴を言っても仕方がない。ピンポンと彼女は「トルコ桔梗と野菊」の花束を抱えてお見舞いにやってきたのである。 

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それに対するこちらのオモテナシは冷凍ワンタンと冷凍ホウレンソウのスープと焼きりんごのデザートという、あまりにもあり合わせの手抜きメニュー → 気分が悪いと頭が働かないとは言え、他に方法もあったのでは・・・と反省しきり。

最後の日は銀座「鹿ノ子」の栗ご飯のランチと「教文館のカフェ」でお茶。夕食は五反田「遊庵」で蕎麦。 まだまだ時間が足りない・・・・。

北陸育ちの友人はいつもゆったりとして心地よい。金沢のホームにいる母上を見舞って、数日後にはまたトルコへ帰って行く。 また、逢いましょう!

★ トルコ桔梗はトルコ産ではない

2016年10月 6日 (木)

「ロング・グッドバイ」 ~ 浅川マキの美学

池袋の新文芸座へ出かけたら、『浅川マキ』(1942-2010)が蘇った。生前、一度もコンサートに行ったことがなかった。今さらそれが悔やまれる。 自分の対岸に存在していた伝説的な歌手。1970年前後はアンダーグラウンド(アングラ)という言葉が新宿あたりに蔓延していた。

改めて、唄に耳を傾けてみると、究極なまでの退廃的唄い方に心を突き動かされる。落ち込んだ時は明るい唄ではなく、思い切り暗い唄を聴いてとことん落ち込むと心は晴れるものらしい。

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ライブ専門に活躍していたから、TVには出なかった。 しかし、根強いファンに囲まれていた。 マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイの曲を日本語に訳して唄う。 横文字では決して唄わなかった。

♪ こんな風に過ぎて行くのなら ♪ 詞・曲(浅川マキ)

いつか また 何処かで 誰かに逢うだろう

あんたは 去ってしまうし

あの娘も あっさり結婚

今夜ほど 寂しい夜はない

そうさ 今夜は 世界中が雨だろう

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上野千鶴子と同じ高校を卒業後、北陸の小さな漁師町役場の「国民年金課」で働いていたが、東京に憧れて家出。寺山修二に見初められる。
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 裏窓 ♪ (詞・寺山修二 : 曲・浅川マキ)

裏窓からは 夕陽が見える

洗濯干し場の様子が見える

裏窓からは

より添っているいる ふたりが見える

だけど 夜風がパタン

扉を閉じるよ パタン

また開くよ パタン

もうまぼろしは 消えていた

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いつも黒いロングドレスを身にまとい、煙草を手放さなかった・・・それだけで、ミステリアス。 浅川マキって何者なんだろう?と思わせる。 しかし、清貧だった彼女は服を買ったり、美容院へ行く余裕もなかったのかもしれない。 ジュリエット・グレコがいつも黒いドレスで唄うように・・・いつの間にか定番になってしまったのかも・・・。 

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当時、加藤登紀子とはとっても仲良しだったらしい。マキは子供・家庭の匂いを嫌ったので疎遠になっていったとのこと。 

2010年1月、コンサート先の名古屋のホテルで急死、最後まで浅川マキ的生き方を貫いた。享年67歳。

★ 写真撮影:田村仁

2016年10月 2日 (日)

『道産子』 ~ その名は「ひまわり」

山を切り開いて開発されたレジャーランドには馬車が暇そうにしていた。馬種は「道産子」名は「ひまわり」齢は6歳の雌。10分で¥500というので乗ってみた。 

途中、プーンと馬糞の匂い、実はオナラだった。 馬子に言わせると「この娘はオナラ症なんです」ということで笑ってしまった。

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北海道からトラックで3日がかりで現地へ辿り着いたそうである。 夏休みは子供にモテモテ、冬場は「そり」を曳くのだとか・・・さすが農耕馬、力仕事はお手の物。

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駱駝同様、馬の目も長いまつげで優しい(果たして競馬馬はどんな目をしているのかわからないけれど)。おびえるので目の横には視野を狭くするためのガードがついている。

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指令をしなくても、キチンと所定の位置に止まるおりこうさん。馬車はハンガリー製。 子供からひまわりちゃん!と声を掛けられていた。

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