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2016年4月

2016年4月29日 (金)

『ここはどこ?』 ~ 昔の場所に行ってみたら 

昔々、3年半ほど勤務した会社の事務所は東京タワーの足元にあったそのビルの名前はメソニックビル。 旧海軍水交社で、山本五十六の葬儀を行ったという話は聞いていた。「水交社」は海軍の社交場として用いられていたらしい。

プールがあって、庭にはかなり広い緑の芝生のレトロな洋館。 トイレはかなり広く、ドアがずっしりと重かった。 明治天皇もご使用になられたという話も聞いた。 二階にはメニューはカレーだけのレストラン。

戦後、アメリカに接収されたあと、日本に返還され、メソニック財団が購入し、メソニックビルになったという歴史。今思うと、もったいない場所に出入りしていたことになる。

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近くでセミナーがあったので、カメラ片手にウロウロしてみたのだが、東京タワーは相変わらず容姿端麗!

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 時節柄、観光客用のこいのぼりが泳いでいた(昔は泳いでいなかった)
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     ビルの名前は変わらずとも外観はすっかり変貌していて、ため息

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   ビルの隣には定規とコンパスの「フリーメイスン」東京ロッジの入口

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             変わらないのは向かいの教会だけと思ったら、

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この珈琲店は昔「チロル」というレストランで、よくランチに行ったが、かろうじて健在

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飯倉交差点: 左手の牢獄のようなビルが威圧的、まっすぐ行くと左手にロシア大使館やイタリアンの有名な「キャンテイ」などがある。 あれからどの位の時が流れたのだろう・・・浅間山荘事件や三島事件・・・ソニーの株価が350円ぐらいだった。 自分もいつの間にか「古い人」になっていたのであった=実感!

2016年4月24日 (日)

悲痛で残酷な愛 ~ 映画「さざなみ」

久しぶりにシャーロット・ランプリング主演の映画を観た。 「愛の嵐」や「さらば愛しき人よ」の涼しい眼はいまだ健在。 原題は「45 years」。つまり結婚45年目を迎えた夫婦を突然過去が襲う。 若き日に夫は恋人と共に山を愛し、恋人は遭難した。

幸せな結婚生活の45周年記念日を迎えようとしていた矢先、旧恋人のアルプスでの発見の知らせが届く。夫の動揺が妻に伝わる。 「僕はこんなに老いたのに、彼女はあのときのままだ」とつぶやく。

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               45年をともに過ごした夫婦に激震が・・・・・

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シャーロットの演技が抜群特に最後のシーンは迫真に迫るものがある。妻は嫉妬のさざなみに悩まされ続けるのだろうか?だとしたら、なんと残酷な晩年になることか・・・・・・。

かって、某映画サークルに属していた時に、メンバーの一人が「愛したら死ぬことです。限りなく続く永遠の愛、それは死です」というエッセイを書いて、熱い議論になった。本人は既婚者なのだが、「僕は浮気はしない、いつも本気なんです」と平然と応じていたことを想い出した。今頃は多分、同じ妻と45周年を迎えているのかもしれない。

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★ 巨匠ヴィスコンテイは「愛の嵐」悲痛で残酷で恐ろしいほどの傑作!と評したが、正に、再びの傑作ではないだろうか。

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                     「愛の嵐」の時のシャーロット

2016年4月21日 (木)

『イスタンブルのチューリップ姫』 ~ 楽園に落ちた最初の雨の雫

子供はどんな子供でも可愛いけれど、赤ちゃんの時から知っているイスタンブルの少女「トウアナ(TUANA)ちゃん」から目を離せない。 名前の言われは「楽園に落ちた最初の雨の雫」ということで、会うたびにエレガントな美少女に成長している。

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近くのエミルガン公園でチューリップに埋もれていると、まるでちゅチューリップから生まれたお姫様のようです。まだ6歳なのに・・・・素直で明るくて思いやりがあります。 夏休みはいつもお兄ちゃんと二人だけでおばあちゃんの家に来て、日本語やら日本のしきたりやらを学んでいるようです。いろんな質問をすると、頭の中の翻訳機で適切な言葉を探して、あてはまる言葉が無い時は「そういうのはナイ」と言います。

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日本語もトルコ語も英語もペラペラ・・・・将来どんな国際人になるのかとっても楽しみ

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    身体能力が抜群なので、遊びながらのこんなポーズは朝飯前らしい

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     体操教室に通っているということで、これは新しい体操着かな?

2016年4月16日 (土)

『レンコン』を食べたいれど ~ セシウムが気になる

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 東京湾のセシウム汚染、印旛沼から拡散・・・という見出しに目を見張った。 忌まわしい放射能の数値は減っているという神話を裏返す事実。(東京新聞4月14日朝刊) 茨城・千葉両県にまたがる水郷地帯の状況を独自に調査した結果であるという。 他紙では問題外の報道だけれど、デマとは考えられない。

好物の蓮根の生産地をチェックすると、殆どが茨城なので、撫でまわすだけで買うことができない。 それを風評というにはあまりにも説得力が無さすぎると思うからだ。 除染とは外面の土を削り取るだけ、蓮根生息の沼地はどうやって除染するのだろうか? 不可能に近いのではないか・・・・  放射能は簡単に消えない、移動するだけ。

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雨で増水、汚れた土砂がたまり、水が引いた後に乾いて濃縮する・・・というプロセスを繰り返し、局所的に高濃度になり、結果として河口水門で高止まりになったという見解である。

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 福島では表土を除去しないまま耕した農地ではかなり高い汚染が残り、未除染の山中で採取した山菜には食品基準の二千倍を超えるものがある。 水準は一段低いものの、首都圏でも要注意レベルの汚染が残っている


● 熊本に大地震!

あの東北災害が収束もしていないのに、新たな大地震。 どのチャンネルも崩壊した写真とあわてたアナウンサーの声で放映されている。 津波は無い!原発は大丈夫!ということでホット胸をなでおろしてしまう。 「収まれば我が家に戻れるよね」というフクシマの被害者たちの声が聞こえるからだ。 「災害は忘れない頃でもやってくる!」 実に日本は災害大国であることを思い知らされる。そんな場所に、原発54基も設置するとは・・・・クリ-ンエネルギーなどとキャッチコピーしたのは何処のどいつだ! しばらくはクマモトの蓮根も食べられなくなりそうだ。 次はいよいよ南海トラフか? 心して過ごさねば・・・。

2016年4月13日 (水)

『犬とチューリップ』 ~ 昭和記念公園(旧立川基地)

昭和公園は季節ごとの花が見られる国営公園。 今はチューリップが旬ということで行ってみました。 広い広い!さすが、米軍航空基地の跡地。 遠くに桜、菜の花、ポピー等々。 我が家の花壇とは違うなア~~~ 

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週末はかなり込み合うらしいけれど、平日は長閑な空間、ゆったりお散歩スペースです。大きいカメラと三脚を抱えたオジサンたちも見かけました。

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おやおや・・・ざわめいています。お犬様一家(実の両親と5匹のきょうだい)の記念撮影らしい。カメラおじさんも寄って来ました。 両端はオトモダチのワンちゃんだとか。 撮影終了後はおやつを貰って、とってもおりこうな犬たちでした。 飼い主はかなりのお金持ちだよね~と、ため息。お犬様の入園料っていくらなのかなア~。 毎月この公園で撮影すれば12か月の「ワンワンカレンダー」ができちゃうネ

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             とにかくいろんなチューリップたちがいっぱい!


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こちらにもワンちゃん、あちらにもワンちゃん

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              ♪この広い野原いっぱいあなたにあげる♪

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            あらら・・・チューリップとお揃いの靴が覗いています

2016年4月 9日 (土)

春だ!桜だ!

さいたさいた さくらがさいた・・・・・・小学一年生の時の教科書を想い出す。今年もまた何事もなかったかのように当たり前のように桜が咲いた。

転勤や卒業や入学や結婚や離婚も・・・・行事の多い季節、花冷えで風邪をひく人、花粉症の人、マスク顔が目立つ。

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             今年の桜なのに、過去の写真と変わらない風景

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          川に垂れ下がっているハッキリ写らない「そめいよしの」

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                   カモも番で花見かな???

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               黒い大木に一塊の花: やっと形がワカル





2016年4月 4日 (月)

日吉台地下壕を歩く ~ 戦争遺跡

「連合艦隊司令部地下壕」が何と慶応大学日吉キャンパスに現存するということを慶大生でも知らない人が多いのかもしれない。 保存の会のボランテイアガイドに誘導されて興味津々で見学会に参加。歩くこと2時間半。

● 慶応大学の許可を得て、月一回の定例見学会を実施。 最近見学者数が増え、ボランテイアガイドの養成もしているとのこと。 

希望者は日吉台地下壕保存の会へ⇒ http://hiyoshidai-chikagou.net/

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                    保存会のパンフレット

002_2先ず、案内されたのは大学予科第一校舎(現高等学校)の前。19342594西暦皇紀が刻まれ壁面のレリーフは頑丈な白亜の校舎建設の年号。 10年後の1944年には海軍の部局が次々に移転され、多くの学生は学徒出陣で戦場へ、在学生も勤労動員。大本営海軍部内郵便局日吉分室が開局。

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            ボランテイアガイドさんが当時の写真を掲げて説明

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                    山すそにある地下壕の出入り口

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大谷石で頑丈に作られている壕内の中枢施設は司令長官室、電信室、暗号室で壕の中心部。 電力は地上から配線され、停電に備えた発電室もあった。蛍光灯が使用され、室内は昼間のように明るかったそうである。 戦争末期、戦況は悪化の一途を辿る中、戦艦大和が傾いていく様子が刻々と入電。若き電信員は涙ながらに受信したという・・・・・・・・70年前の風が吹きぬけるような感じ。

敗戦後、米軍に進駐され、返還されたのは1949年の10月1日。やっとキャンパスに学生が戻れた。 現在、当時の慶応ボーイたちもかなりの高齢になっている。

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大学の創立40周年記念に1937年に建てられたチャペル。海軍はこのチャペルも使用。

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                        ダイコン草

壕から出ると、田舎を思わせる長閑な風景。 道端には素朴な野の花が咲いていた。

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                         キイチゴ

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                           スミレ

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