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新聞の読者投稿欄には殆ど中高年老人のボヤキが多いけれど、東京新聞の「発言」では時々若者の声が特集されている。小学生や中学生の意見もあって面白い。今日は20歳の学生の意見だった。 選挙権が18歳になったのだから若者もどんどん発言してほしい。
私はいら立っている。なぜかといえば、安全保障関連法やマイナンバーの騒ぎのときよりも、SMAP解散の方が盛り上がっていたからだ。 メデイアもツイッターも大騒ぎだった。
私たちの関心はどこにあるのだろう。戦争や、個人情報保護よりもCDなのか? しょせん世間とはそういうものかと思うと、残念だし、日本がどの方向に行こうと、文句は言えないなと思う。私たちが芯を通してみるべきは、どこなのかをもう一度、考え直す必要がある。
スクープに大盛り上がりするばかりではなく、メデイアにも、本来、伝えるべき情報を、きちんと伝えてもらいたい。
朝起きてみると、天気予報通りに雪が降っていた。 パンジーもサクラソウも雪の下に隠れてしまった。 夏の強烈な日差しにも耐えて10年、実のならない「オリーヴ」の木もしなってしまった。
立ち直ってくれないと隣家とのカーテン役も兼ねるので困ってしまう。何とか立ち上がって欲しいものです。
「新しい家族です!」とイスタンブルの友人から子猫の写真が届いた。 口笛を吹きそうな口をしている。名前はHamdi、このネコハウスの前に居たのを息子が見初めて連れ帰ったたのだそうである。
イスタンブルも雪が降って、街猫にとっては辛い季節。 坂道に、こんなツリーのようなネコハウスが建っていたそうです。窓が小さいから子猫専門なのかな? トルコを歩いているとあちこちでユニークなネコハウスにお目にかかることがある。 ある種の余裕を感じさせる光景。
Photo by Bontrip
事件当日、現場から帰路の様子を友人(日本向旅行会社勤務)は次のように表現している。
「テロのあった日、旧市街のテロ現場に一日いたあと、夕方ヨーロッパ側のベシクタシュ桟橋から船に乗ってボスポラス海峡を渡り、アジア側のウスキュダルに向かったとき、宝石箱をひっくり返したような美しいイスタンブールの夜景に息を呑みました。いつも見てる光景なのに、なぜか急に目の中に鮮やかに映りました・・・。
体操教室に着いて、幸せそうに体操している娘を見たときには、何とも言えない違和感を感じ、何か夢を見ているみたいでした。生と死の狭間なんて、本当に紙一重なんだなあと漠然と思いました。
映画の影響で、串本では観光客数が劇的に増えているそうなので、もし安全なイメージさえあれば、トルコにも多くの観光客が来てくれたのではないかと思うと残念です。
ボスポラス海峡のこのスバラシイ夜景が安心して見られるようになることを心から祈るばかり・・・・。
またまた我愛するイスタンブルの嘆かわしいニュースが飛び込んできた。せっかく日ト合作映画『海難』で新日国をアッピールし、ゴトーさん事件以来の観光客減を呼び戻しかけた矢先。
Nステを観ていたら、キャスターが「それでは現地から報告していただきます」と言って、画面は現地へ。 何と前日、情報メールを受信したばかりの友人がひきつった顔で(ニコニコするな!という指令があったらしい)マイクを握ってレポートしていたのでビックリ。 トルコにデスクを置くメデイアは少ないので現地キャリアのある彼女がレポーター役になったのでしょう。
不足ない報道をしていたので、画面に向かってシャッターを切り、本人に送信。 早速、勤務会社のFACEBOOKに掲載されていた。 現場は馴染みのヒポドロームにある「オベリスク」前。 この界隈は定宿もあり、馴染みが深い場所。 イスタンブル観光のスタート地点である。
新聞「Haber Turk」は一面をドイツ語で「心はあなた方とともに」という見出しで報道。 そしてまた、昨日はジャカルタで・・・・世界はどうなっちゃうの・・・日本も後方支援をするのだから、安全などとボケてはいられない時代に突入したのである。
ネット右翼とも称される自爆犯たちは宝石ドロボーとは違って、捕えにくい。 カミカゼ特攻隊生存者の話を直接聞いたことがある。それは「若き日に洗脳された(お国のために死ぬという高揚感)」であったという。
ヒトとしての正気を取り戻すためにはどうすれば良いのだろうか?
この書を読むキッカケは天木直人氏のつぎのようなブログを読んだからである。
11月16日の東京新聞が「9・11からパリ・テロへ」と題する社説を掲げた。
テロと憎悪と復讐の負の連鎖にならないよう、いまこそ世界は踏みとどまる時だ。14年前の9・11以降の世界は何をし、また何をしそこなってきたのか。
米欧は、ましてや日本は、どれほどイスラム世界を理解しているというのか。欧米で憎まれるテロは、世界を異にすれば聖戦と呼ばれる。 米国のアフガン、イラク戦争の膨大な犠牲者と、パリの無辜の犠牲者を並べて考えることもまた必要ではないか。大げさに言えば、世界史の中で私たちは試されているのだ、と。
すべての大手紙が、テロは許せない、対テロ戦争で国際連帯せよ、という社説を当たり前のように掲げるなかで、この東京新聞の社説はひとり異彩を放っている。 このような社説を書けるのは田原牧記者をおいて他にいない。
アラブの春を取材し、「ジャスミンの残り香」を書いた、東京新聞の中東専門記者だ。 彼の様な記者が一人でも日本にいる事に私は救いを見る。
著者は2014年アラブの春の中心地であったカイロのタハリール広場に立ち、『革命』は徒労だったのかを自ら問いかける。一言でいえば、実際に現場を知っているジャーナリストのまなざしが見える。(日本の中東情報は他国の情報を受けて発信する場合が多いと聞く)そして、日本の脱原発デモにも言及している。 あまりにも説得力のある言葉に脱帽。
旧原子力安全・保安院の職員にせよ、東京電力社員にせよ、私が取材で会ってきた人々の大半はまじめで善意の市民たちである。彼らの多くは日々の糧のために、国策や原子力ムラに服従しているだけだ。
しかし、その姿勢が結果的には、犯罪的なシステムを支えている。善意の個々人は無責任な加害者でもあるのだ。 その姿はハンナ・アーレントが「悪の凡庸さ」と評したホロコーストの下手人、アドルフ・アイヒマンの心情と本質的には変わらない。
そのまじめで善意ある人びとの凡庸さこそが、福島での未曾有の事故を招いた。
個人の主観がどうであれ、社会に責任のない人間などいない、原発を支えている最大の力が多数派の「長いモノには巻かれろ」と言う無責任な精神にあるとすれば、社会と自分(たち)の関係を対象化する回路を閉ざしたまま。原発を産んできた社会を崩すことはできない
子供の頃、意味も分からず百人一首で遊んだことがある。 従妹が得意でとてもかなわなかった。 書に親しんでいる友人(パキパキの理系女子)から作品が届いた。
誰しも覚えのある懐かしい二首。
〽 久方のひかりのどけき春の日に静心なく花のちるらむ 〽 紀友則
〽 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに 〽 藤原興風
実は寝室のクーラーを撤去したら、壁に跡形が残ってしまった。 壁紙を貼りなおすほどでもない。 どうしたものか・・・と悩んでいたら、サイズ通りに書いてくれた。
「墨」と「和紙」に心落ち着くのは日本人だからだろうか、それとも年を重ねたからだろうか・・・・・・今年は、静かに心豊かに過ごしたいと思います。
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