老兄が自覚症状が全くない中で、肺癌(ステージ3・5)と診断されたのは昨年の11月。 2人に1人が癌を発症するという時代でも、宣告後は冷静ではいられなくなる。 医師の近藤誠式にそのままで余生を過ごすか、手術で延命を選択するかの決断を迫られる。
老齢といえども死を意識するのは精神バランスを崩す。考えが二転三転、当初は取りつく島もない状態が続いた。 主治医の意見もあり、手術可能だという判断の下、肺がん手術の名医のいる病院へ紹介され、手術実施となった。
待合室に飾られていた絵
手術日: 摘出困難な場合は1時間、摘出できる場合は3時間という医者の説明で、「家族待合室」で待つことに。 義姉は常にお喋りなのだが、当日は不安なのか喋りっつぱなし。待合室ではもう一家族が待機していた。 家族は3・11の被害者で、義理の両親と子供が流され、子供は助かり、自分も首まで水に浸ったとのこと。
病院の場所は、陸前高砂。 津波がスグそこまで押し寄せた場所だった。ここは東北、4年過ぎても災害の爪痕があちこちに見受けられるのである。
3時間過ぎても終わらない。4時間、5時間、6時間・・・時々、「順調ですが、時間がかかっています」の連絡が。 ついに終了、ICUへ駆け込む。
執刀医は「大変でした!」の一言を発してから、摘出した肺を前に説明を始めた。病巣が動脈近くで、過去に心臓バイパス手術もしていたことが時間のかかった理由だったという。
正常部分と比較すると、癌そのものはかなり固く(シコリ)、色の違いや喫煙アトの黒点(若いころ短期間喫煙していた)も見られた。 写真撮影も可。 50代前後の医師は質問にも的確に答えてくれ、まるで神のごとしである。 組織検査後に、具体的に転移や余命などの想定ができるらしい。
兄の好きなタイワントキソウ
翌日: ICUで10分間の面会。 朝食も済んで、「数独」をやりたいとか言っていたのだが、夜間は血圧低下で呼吸困難になったらしい。 今日は個室へ移動したと義姉から連絡あり、身内の病気には何かと心配な日々が続く。 手術は成功したけれど肺炎・心筋梗塞等々、予後の注意が大変である。 自分にとっては唯一の兄、無事を願うばかり。
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