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2015年1月29日 (木)

 『夜と霧』  ふたたび ~ みすず書房

若き日にアラン・レネのドキュメンタリー映画を観て衝撃を受けた。 1947年刊、邦訳1977年のフランクルの本も読んだ。 その後、度重なる引っ越しで、多くの本を葬ってきたが、この1冊は手元に現存している。 

世界のロングセラーとして名高い本書の新訳版(1977年改訂版で邦訳2002年)を最近読んだ。 あれほど衝撃を受けたはずなのに、どんな言葉で表現されていたかをすっかり忘れている。 ただショックだけが甦る。

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著者が収容されたアウシュヴィッツがいかに過酷な収容所だったか、ナチがいかに人道的でなかったか・・・ということよりも、心理学者の体験を通して、執筆された、ということが他書との違いであり、ロングセラーの所以なのだろう。

70年前、ヒットラーに高揚した国民がいた。 昨日の深夜NHKBSで再放された(イスラエル・ドイツ合作)「ヒットラーの子供たち Hitler’s Children」を観た。 ニュールンベルグ裁判で有罪死刑になった錚々たるメンバーの子孫たちが、いかに心を痛めて生きて来たかがテーマだった。 子孫たちはヘス、とかゲーリングとか自分の苗字を名乗るたびに一族とみなされていまだに苦労しているという。

解放された被収容者の心理を著者は下記のように表現している:

 収容所のゲートに白旗がひるがえったあの時点から、この精神的な緊張のあとを襲ったのは、完全な精神の弛緩だった。 大喜びしただろうと考えるのは間違いだ。

「自由になったのだ」、と何度も自分に言い聞かせ、頭のなかで繰り返しなぞる。だが、おいそれとは腑に落ちない。自由と言う言葉は、何年もの間、憧れの夢の中ですっかり手垢がつき、概念として色あせってしまったのだ。

・・・・・仲間たちが経験したのは、心理学の立場から言えば、強度の離人症だった。

ヒットラーを生み出した国はどのような戦後処理をしたのだろうか? 日本のように「謝れコール」が被害者たちから起こらないのはなぜか?

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