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2014年11月

2014年11月23日 (日)

ミニサイズの『菊枕』 

試行錯誤して「菊枕」らしきものをやっと作り上げた。 菊花の量がかなり要るのでミニサイズ、絹は縫いにくくて大変! コットンをミシンで縫ったら簡単でしょうが、それでは「ポプリ」と変わらないから、菊にはやっぱり絹でなくちゃ・・・とチクムク(着物を縫う人ってえらいなあと思う)。

白は淋しいので、トルコのオヤ(針先で編んだ小さな花)を縫い付けてみた。 菊の香りもそれほどしないので、 枕というより枕のそばに置くお守りのようなモノになった(かなりヨタヨタしているけれど・・・)。

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93歳の食いしん坊のお友達が、腎臓病で入院中。 食事はアンダーコントロールなので、送ってあげたら、ニッコリしてくれるかなア・・・やっぱり花よりチョコがいいなんて言われそう。

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このオヤは花びらが2枚重なっていて、立体的。 縫い針1本で編み上げるという根気には脱帽です。

2014年11月21日 (金)

「凍土壁」は成功するか? ~ たんぽぽメルマガNo.2338

 
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いろいろ新しいことが起こるので、3・11はもう過去の話になってしまいつつあるけれど、地震の度に、首相Aの言うようにコントロールされていない原発が心配になる。たんぽぽメルマガでは凍土壁は、成功すると思いますか?-という質問を京都大学の小出裕章氏への質問が掲載されていました。



 
失敗するとおもいます

私は2011年3月に事故が起きたあと、5月の時点で、原子炉建屋の周囲にコンクリートで遮水壁を張り巡らせるべきだと提案していました。政治家たちにも、何人にも伝え、やると言ってくれたんですが「6月に東京電力の株主総会がある。遮水壁を作ろうとすると1000億円のお金がかかってしまう」、そう言って東京電力がその案をとらなかったのです

遮水壁ができないまま、ずるずる時間が過ぎていって、ようやく1年前くらいに、
国と東京電力が「遮水壁を作らなければ」と、造ろうとしているのが凍土壁です。
凍土壁というは、トンネルなどを造る場合に、その周りだけ凍らせて、地下水流入
を防ぐという技術なんです。
福島第一原発で作ろうとしている、周囲1.4キロ、深さ
30メートルの土壌を凍らせるなんて、いままで世界中で成功した例がありません

 どこか1カ所でも凍らなかったら、そこから水が入ってきてしまうのですから、何の意
味もない。
ただし、ゼネコンは喜ぶのです。とにかくやれば、お金が入ってくる。
やって失敗すれば、次の案を出せばいい。またお金がもらえるわけですから。

 凍土壁は失敗して、ちゃんとした遮水壁を造らなければならないということになる
と私は思いますが、もうあまりにも遅すぎるんです
3年半の間に大量の汚染水が海
に流れてしまいましたし、遮水壁が完成するまでにも流出は止まりません

でも、やらなければならない。その間も労働者は被曝をし続けてしまいますが

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一方で再稼働を目指す動きは進んでいます

現在、国内で使っている電気は完全にニュークリアフリー。  54基ある原発は1基も動いていないのです。このまま原発稼働を止め続けていきたい。

 しかし、自民党政権は、福島の事故をなかったことにして、再稼働を進めようとしています。その一番乗りを九州電力の川内原発でやろうとしているのですが、1基でも動かしてしまったら、次々と再稼働がなされてしまうと危惧しています。そのためにジャーナリスト
やメディアにも力を貸していただきたいのです。
   (出典:「紙の爆弾」12月号のインタビュー記事より)

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凍土壁とは: 事故を起こした原子炉からもれる水が地下水を汚染するのを防ぐため地下まで凍結管を打ち込み、土を凍らせて地下水をブロックする方法とのこと。 どんどん建設して、事故ったら『方法が無い!』ナンテ原発を知らない非文明的な話ですよね。対岸の火事と思える人にとっては痛くも痒くもない事なんだろうけど・・・・・

2014年11月15日 (土)

わたしの中の『須賀敦子』 ~ 神奈川近代文学館

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電車に乗って、ふと頭をあげると若き日の須賀先生が微笑んでいた。 「須賀敦子の世界展」の広告だった。 須賀敦子が静かなブームになって久しいけれど、彼女を陰ながら敬愛する自分としては車内広告としての存在に違和感を覚えた。

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その出会いは須賀先生がイタリアから帰国して間もない1973年ごろ、慶応外語(慶応大学に付随する夜学の語学学校)だった。 先生はまだ40代で、エマウス運動をされていた時期、黒縁の眼鏡をかけ、セーターにジーンズ姿、時には藁のようなゴミまでつけて颯爽とクラスに登場したこともあった。 

須賀敦子からイタリア語を学んだ、というよりイタリアを学んだのだった。 というのも、彼女は本格的にイタリアを丸ごと抱えているような・・・・そんな感じだった。 自分はお嬢様育ちで、聖心出のクリスチャンで谷崎や川端など多くの日本文学をイタリア語に翻訳しているのだ、というようなことは一切言わなかった。

授業はいつも脱線、テキストから離れてのイタリア話。それが楽しみで卒業後も聴講を続けながら、いつも思った。 こんな優れた人物がわずか5~6人の夜学校で教えているのは実にもったいないと・・・・・。

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その後、「ミラノ霧の風景」が出版されたときはやっと世間も彼女の価値を認めたか、という想いで本当に嬉しかった。 徐々に須賀敦子の作品が書店に並ぶようになって(生い立ちや私的な部分が表面化)、ファンも増えて・・・・これからだという時に、新聞で訃報を知った。

今、こうして「須賀敦子の世界展」が開催され、ファンたちが続々と港の見える公園に足を運んでいる。 本人は照れ臭そうにニコニコ笑っているに違いない。近くに外人墓地もあり、お墓参りに来たような気分だった。

もし、自分にもっと能力と気力あったら、どこまでも須賀敦子の方へ歩いて行きたかった。

2014年11月13日 (木)

『菊枕』をつくりたい・・・

NHKの俳句の時間を見ていたら兼題が「菊枕」、この世に菊枕などと言うものが存在することに気が付いた。 解説者がそのつくり方にも言及していたので、自分も作ってみたい・・と思った。 八百屋で食用菊が売っていたので行動に移したのだが。

     賜りてかそけき音す菊枕        三好泥

     縫い目より香を零したり菊枕     甲地敦子

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これは花屋さんで購入したが、なかなか散ってくれないしむしりとるにはかわいそう・・・  菊枕は邪気を払うとか香りが安眠をもたらすとか・・・・考えただけでも癒されそうな気がする。    013
                     食用菊を蒸してみた

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外は強風なので室内干し、 サラサラと乾いたのであとは、白絹の袋を作るだけなのだが、ミシンがなかなか出せない。 いっそ手縫いにしようか・・・・・香が零れるかもしれない。

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           これはTVの映像: 枕に乾いた菊の花びらを入れるだけ

                   臥す友へ菊枕縫ふ夜明けまで


2014年11月 8日 (土)

「アヤソフィア」のあるじ ~ イスタンブル

世界遺産のアヤソフィア博物館で、ノッシノッシと我が物顔で..歩く猫を見かけたことがある。 トルコではシッシと追い立てたりしないので、シルケジ駅の構内や有名な観光地にも猫たちがのんびりと居座っている。

餌は門番のオジサンたちがめんどうみているのではないかニャー

この猫さんもいつぞやお会いしたような気がするのだが・・・・なかなか良いポーズです

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                               Photo by  Olgin Doganay

2014年11月 6日 (木)

 池田龍雄展 ~ 東京アートミュージアム

夏の終わりに、信濃追分でのイベントで現代美術作家、池田龍雄氏にお目にかかって以来、作品が気になっていたので美術館へ。 京王線仙川駅から徒歩5分の通称安藤ストリートにあるのだが、素通りしてしまうほど入口が目立たない。

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    11月30日まで 開館日は水・金・土・日曜日 11:00~18:30 (Tel:03-3305-8686)

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                                              ここが入口

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アンドウ建築のコンクリートの壁には熟成された現代美術の作品が心地よく収まって、じっと見れば見るほど人間の叫びのようなものが感じられる。

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通称安藤ストリートには安藤建築が並んでいる。一般マンショとしては住み心地がワルイという評判らしいが、 丹下建築のゴシック調も使い勝手がワルイと言われているし、果たしてどんな建築が良いのだろう・・・・・まずは、雨にも負けず風にも地震や放射能にも負けない建築を期待したいとなると「シェルター」になってしまうのかも。 日本人が木と紙の家から脱皮して久しい。

2014年11月 1日 (土)

『赤とんぼ』 ~ レイコ・クルック (長崎文献社)

8月の軽井沢で特攻隊生き残りの画家、池田龍雄氏から、「赤とんぼ」の話を聞き、この本に辿り着いた。 現フランス在住の著者が子供の頃の鮮やかな記憶をもとに紐解かれた現代史でもある。

練習用特攻機として、戦争末期に木のプロペラと布張りで作られたお粗末な飛行機だったらしい。 赤い色なので「赤とんぼ」と呼ばれたとのこと。 当時12~14歳の洗脳された少年たちがお国のためにと意気揚々と志願したそうである。

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著者が子供だったころ近所に長崎航空機乗員養成所があり、純粋な子供の目を通して当時の風景が甦る。

 土を固めた滑走路に三機の赤とんぼがとまっている、近くで見ると赤とんぼは思ったより大きく、ツヤツヤした木製のプロペラ、二枚羽根の布のキャンパスにゴッテリと塗られた赤い塗料が、ところどころにひび割れていた。

乗員養成所弊社のあとに、アメリカ軍が軍用車をつらねて駐屯しにきた。 戦時中、<鬼畜米英>と叩き込まれた鬼たちが、この村に侵入してくる!

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             子供時代の著者: 少女の視線の先には何が・・・・

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