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2014年8月

2014年8月27日 (水)

映画のあとは ~ 『鯨』

映画で興奮した頭を冷やすためには何を食べようかと渋谷をウロウロしていると、懐かしや~元祖「くじら屋」 へ。Imageso1dhm5fo_4

捕鯨問題でいつ廃業するのかと思いながらまだあるまだある・・・と気になっていた店。  20年ぶりに暖簾をくぐった。

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食べ収めのつもりで、友人とから揚定食とステーキ定食を半分ずつ食べた。牛肉やマグロに比べて特別美味しいというわけでもないけれど、鯨の味を噛みしめた。 捕鯨反対!の運動家にも一口食べさせたいと思いながら・・・。

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お行儀の良い知性のありそうな(?)青年たちが、群れずに静かに食べていた。 「あなたはどうして鯨を食べるんですか?」と質問したくなったが、「おばさんこそどうして?」と問われそうなのでやめた。 本当に絶滅危惧種なのだろうか? Imageso1dhm5fo_3

2014年8月23日 (土)

点と線 ~ ジプシーの音楽 

暑さも相まって、先週は映画通いが続いた。 伝説のフラメンコダンサーの生誕100年を記念して製作されたドキュメンタリー「ジプシー・フラメンコ」と伝説のヴアイオリニストを描いた「パガニーニ」、両作品とも映像から観客席へ汗が飛び散ってきそうな迫力。

子供時代から馴染んでいる有名なヴァイオリン曲、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」が実はジプシーの旋律の意味であることを知ったのは大人になってからのこと。

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フラメンコを芸術の域に高めたカルメン・アマジャ(Carmen Amaya 1913-1963)血族の母娘が固い絆で結ばれたバルセロナジプシーのアマジャの遺産、妖気と神秘性を受け継ぐ。

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今では、ジプシーは差別用語なので「ロマ」と言うべきだという意見もあるが、この映画はあえて「ジプシー」というタイトルにしている。 ヨーロッパを旅していて、茶褐色の皮膚に黒い大きな瞳の子供たちに囲まれてお金をねだられた経験はないだろうか? 

彼らもまたナチによって絶滅収容所へ送られた民族である。 その音楽に哀愁があるのもうなずける。004

そして、プロのヴァイオリニスト、デビット・ギャレット(David Garett)が演じた「愛と狂気のパガニーニ」は圧巻! 

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悪魔に魂を売り渡したというパガニーニになりきった演技力はどこから?1981年生まれのこの熱血ヴァイオリニストは主演と総監督・音楽も担当した天才らしいけれど、ベッドシーンもやってのける俳優でもあるわけだ。 5億円のストラデヴァリウスでのド派手な演奏。見終わった後も、曲がしばらく耳に残って現実離れ状態。

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ファッションモデルでもあるマルチタレントミュージシャン、末永い活躍を祈りたい。       

<写真:公式ホームページ>

 

2014年8月15日 (金)

金子兜太の句 ~ 終戦(敗戦)記念日

窓から日の丸が見えた。場所は区立中学校の屋上らしい。今日は終戦記念日だった。 朝刊をめくると俳人「金子兜太」と作家「いとうせいこう」の対談が特集されていた。 つい最近、さいたま市の公民館が九条を詠んだ市民の句を掲載拒否した問題から、新興俳句運動、戦前の俳句弾圧事件のことなどなど・・・・興味深い。現在94歳の氏から、学ぶべきものは多い。

299      蜥蜴が息をひそめて動かなかったが瞬きをしたら、もういなかった・・・・ 台湾大学構内

 

★ 死の現場知らぬ政治家得意顔

、イスラエルがガザに対してやっていることも、僕はすぐ東京大空襲のことをを思った。いろんな種類の爆弾が使われて火の海にされて、民間人がやられていく。政治家は、このことを日本の問題として考えてないんですね。

★ 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

戦争に行って、目の前で手がふっ飛んだり背中に穴が開いて死んでいく連中を見たり、いかついやつがだんだんやせ細って仏様みたいに死んでいくのを見て、いかなる時代でもリベラルな人間でありたいと考えていた自分がいかに甘いかということを痛感した。 

自己反省、自己痛打が私にそういう句を作らせたと同時に、その後の生き方を支配した。年とってもその句が抜けません。自分を暖めることができない。それぐらい痛烈な体験でした。今の政治家諸侯は、少なくとも俺のような戦争への自虐を感じないのだろうか。

★ 原爆忌被曝福島よ生きよ

★ 津波のあと老女生きてあり死なぬ

★ 被曝の牛たち水田に立ちて死を待てり

★ 権力に寄り添う構図繰り返し

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2014年8月12日 (火)

『聖地』で生きる子供たち ~ エルサレム

世界三大宗教の聖地:エルサレムには聖墳墓教会・岩のドーム・嘆きの壁が隣接している。 湾岸戦争時にはテルアビブの人口が集結した安全地帯。

もし、ローマ帝国がユダヤ人を追放しなかったら、ナチのホロコーストがなかったら・・・と仮定法で考えても仕方がない。ガザを中心に凄まじいドンパチが続いているこの不幸な現実をどうにかできないものか・・・・と2000年前の歴史を振り返る必要に迫られる。 歴史から学べない人間の愚かさは何なんだろう・・・(u_u。) 

辺見庸氏は「また再びのユダヤ人迫害への環境ができつつある」とブログで示唆している。 同感!

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この嘆きの壁の前には2000年もの長きに渡り、パレスチナ人(アラブ人)が居住していたがイスラエル建国と同時にブルドーザーで一夜にして追いやられた = 紛争のハジマリである。

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共存すると言っても街はアラブ街とユダヤ街に分かれていて、物価も売っているモノも違う。 旅人としては賑やかで活気のあるアラブ街の方が魅力的。 子供たちも人懐こく、大きな黒い瞳を輝かせていた、20年前のことである。
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 路地裏で遊ぶ子供たち:もう成人している、紛争に巻き込まれていないことを願うばかり



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                 ブレスレットを売りに来た少年
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                  この子は見るからにリッチ

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                サングラスかけてファッション三昧?

2014年8月 6日 (水)

 鎮痛薬 「ピカドン」 ~ あとむ製薬

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中学時代、広島から転校してきた男の子にクラスの男の子たちはピカドンいうあだ名をつけてからかっていたが、その子はとっても頭が良かったので、人気者だった。

2年ほど前、東京新聞にこんな記事が載っていた。

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 「ピカドンで頭痛忘れて玉の汗」

というキャッチコピーの宣伝広告(1949/1/13愛媛新聞)。 ヒロシマで昭和23年創立の「あとむ製薬」の製品だったそうで、漢方薬だったらしい。 おそらく頭痛にはよく効いたのかもしれない。 原爆投下後、間もないというのにすでに原子力が賛美されていたのだった・・・・東海村に初の原発開設時には原発羊羹・原発最中等々の名物お菓子が登場したのもうなづける。 子供たちは「鉄腕アトム」に夢中になった。みんな貧しかった。

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2014年8月 1日 (金)

『ヒトラーの側近たち』 ~ 大澤武男 (ちくま新書)

ヒトラーとは何者か?という興味を持ちながらはっきりとした『答え』を見出せず、人生の大半を過ごしてしまった。 記憶力は大幅に減退しつつも時間の余裕とともにこの種の本を読み漁っている。

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あの狂気に国民が一丸となって虜になっていく。43歳のヒトラーと若い世代の閣僚=側近たちは「ヒトラーの意思はすなわち法である」を基盤に次々と反対派を更迭、排除していく独裁者をローマ教皇すら食い止めることができなかったという事実。

独裁者を支えた側近たち(ゲーリング、ヘス、ハイドリッヒ、アイヒマン、ヒムラー、ゲッペルス等々・・)が何をして、どんな最後を送ったかを在独40年の歴史学者が淡々と著している。 

009_2                 ヒトラー最後の写真56歳の誕生日(1945年4月20日)

若いヒトラーが政治活動に飛び込んで以来の「ユダヤ人は死に値する」という空虚で実質のない主張、偏見は、側近・幹部ヒムラーを頂点とするSS組織により人類史上最大の犯罪にまで拡大されていった。

敗戦を前に逃げまどい、四散していった側近たち、次々と自決していった将軍たち、最後の最後までヒトラーにつき従うより仕方なかった側近従者たち、あわよくばヒトラー亡き後再起を考えたグループなど、終戦を前にした側近たちの身の処遇はまちまちであったが、問題はヒトラーを囲む彼らはあまりにも長く総統の独裁に黙ってつき従ってしまったことである

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