映画 『故郷よ』 ~ 失われた土地
チェルノブリから3キロの隣町、チェルノブリ労働者の町「プリピャチ」の当日と10年後を振り返る映画である。 銀座シャンテ・シネ(東京で唯一の上映館)の前はひっそり。シニアおばさんの二人連れが看板の前で「なんだか深刻そうな映画ねエ、観るのはやめよう!」と言いながら立ち去った。 確かに場内は20人ほどだった。
この映画は、先ず、仕事の一環として全東電社員と全国会議員に観て欲しい、そして茶の間にも放映して欲しい。 終映後、日光のサルを演じる日本人ってなんなんだろう・・・と思いながら久しぶりの銀座を歩いた。寒かった。
1986年4月26日:
雨、 花嫁のアーニャは結婚式の途中で、消防士の夫を森林火災の作業という名目で駆り出された。病院で「旦那さんは大量の放射線を浴び、モスクワに搬送されました。彼に会えば、あなたも死にます」と言われ、住民たちに何の説明もないまま退去命令がくだされる。結婚式でアーニャの歌う「100万本のバラ」が耳に残る。
原子力発電技師のアレクセイは息子にヨウ素剤を与え、町に残った。 事故は電気供給を増やそうとした従業員によるもので、守秘義務のため誰にも言えない・・・・
未亡人のアーニャはチェルノブイリツアーのガイドとして働いていた。 毎日バスに乗り、同じ説明を淡々と繰り返す。「5万人もの住民が避難しました。私物の持ち出しは禁止でした・・・事故直後、気象が不安定となり、雨により放射線が固着しました・・・」
「危険を冒してまで、なぜこの地にとどまるのか」という観光客からの質問に「我が家だからよ」と答える。髪の毛が抜け始めていた。
5日後に開園予定だった遊園地、稼働することのなかった観覧車
監督・脚本:
ミハル・ボガニムは1973年イスラエル生まれ、幼少期にレバノン戦争に巻き込まれパリへ移住。ロンドンでドキュメンタリー映画を学ぶ。
話を聞いた人たちは、事故を経験したにも関わらず、そのことについてあまり知っている印象を受けなかった。実際何が起こっていたのかを知らされず、その無知さを嘘によって丸め困れて生きていた。そのことに非常に強く興味を覚えた
フクシマの事故について:
映画の編集中に事故がおこり、自分の映画と同じような映像を見て、不思議でした。まさに同じことが繰り返されたことに驚いた。使われる『語彙』すら同じで心がかき乱されました
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