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2013年2月

2013年2月27日 (水)

イスラム式 『ト・イ・レ』

 今や日本は「ウオシュレット」なる立派なビデを産出し、殆どの一般家庭に導入されているが、はじめてヨーロッパを訪ねたとき、特に、ラテン系の国々(フランス、イタリア、スペイン等)でのトイレ事情には驚いた。 トイレの隣にトイレと似たようなモノ、つまり、ビデが備わっていることに誰しも違和感を覚えたはず。 

実際、現地での使用法はオシリの洗浄はもちろん、足を洗うことにも使用しているらしい。日本人のように入浴にこだわらない代わり、香水をつけて、オシリとアシは綺麗にしようという計らいらしい。

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さて、イスラム圏のトイレはまた違う形で清潔を保っている。便座ではなく日本同様「座る」が基本。 小さい穴と足場があって、どっちが前か後か?と一瞬迷うのだか、手前が前。左手に水道管があり、洗浄後は小さなバケツで自分で流すのが基本。

そして使用済みのペーパーは流さず、右手の容器に入れることになっている。 外国人観光客の多い博物館などは一般的なトイレも導入されているが、イスラム式ではクリネックスなどのペーパーを流すと目を覆うような状況に・・・・・ガイドブックなどにはこの点をしっかり明記してほしいものである。 旅はトイレに始まる!

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           バスターミナルのトイレ、50円程度の使用料で管理されている

そういえば、満州育ちの亡母は女学校の寄宿舎が、すでに便座式の水洗だったと自慢していたのを想い出した。

2013年2月21日 (木)

映画 『故郷よ』 ~ 失われた土地

チェルノブリから3キロの隣町、チェルノブリ労働者の町「プリピャチ」の当日と10年後を振り返る映画である。 銀座シャンテ・シネ(東京で唯一の上映館)の前はひっそり。シニアおばさんの二人連れが看板の前で「なんだか深刻そうな映画ねエ、観るのはやめよう!」と言いながら立ち去った。 確かに場内は20人ほどだった。

この映画は、先ず、仕事の一環として全東電社員と全国会議員に観て欲しい、そして茶の間にも放映して欲しい。 終映後、日光のサルを演じる日本人ってなんなんだろう・・・と思いながら久しぶりの銀座を歩いた。寒かった。

1986年4月26日 

雨、 花嫁のアーニャは結婚式の途中で、消防士の夫を森林火災の作業という名目で駆り出された。病院で「旦那さんは大量の放射線を浴び、モスクワに搬送されました。彼に会えば、あなたも死にます」と言われ、住民たちに何の説明もないまま退去命令がくだされる。結婚式でアーニャの歌う「100万本のバラ」が耳に残る。

原子力発電技師のアレクセイは息子にヨウ素剤を与え、町に残った。 事故は電気供給を増やそうとした従業員によるもので、守秘義務のため誰にも言えない・・・・

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10年後 

未亡人のアーニャはチェルノブイリツアーのガイドとして働いていた。 毎日バスに乗り、同じ説明を淡々と繰り返す。「5万人もの住民が避難しました。私物の持ち出しは禁止でした・・・事故直後、気象が不安定となり、雨により放射線が固着しました・・・」 

「危険を冒してまで、なぜこの地にとどまるのか」という観光客からの質問に「我が家だからよ」と答える。髪の毛が抜け始めていた。

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        5日後に開園予定だった遊園地、稼働することのなかった観覧車

監督・脚本

ミハル・ボガニムは1973年イスラエル生まれ、幼少期にレバノン戦争に巻き込まれパリへ移住。ロンドンでドキュメンタリー映画を学ぶ。

Michaleboganim話を聞いた人たちは、事故を経験したにも関わらず、そのことについてあまり知っている印象を受けなかった。実際何が起こっていたのかを知らされず、その無知さを嘘によって丸め困れて生きていた。そのことに非常に強く興味を覚えた

 フクシマの事故について: 

映画の編集中に事故がおこり、自分の映画と同じような映像を見て、不思議でした。まさに同じことが繰り返されたことに驚いた。使われる『語彙』すら同じで心がかき乱されました

2013年2月15日 (金)

『紫式部日記』がトルコ語に翻訳

1000年前の平安文学が1000年の時を経て、トルコ語に翻訳されたという話を聞いて心が熱くなった。源氏物語は翻訳本を高校時代に読んだけれど、『式部日記』に触れた記憶はない(あったとしても、教科書にチョロッと数行)。

おそらく、大学で古典でも専攻しなければほとんどの日本人にとっては名前だけを知るブランド的古典の存在であろう。

昨年、たまたま訳者と出会うチャンスがあった。

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恥ずかしや~あわてて、原書(勿論、現代語訳付き)を手にした。     さすがに、日記というものはリアリテイがある。当時の宮廷生活や式部の人となりを現実的に垣間見ることができ、式部という才女のDNAを受け継いだ人間がどこかに生きているかも・・・・と想いを馳せて、タイムスリップ。

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版元はTurkiye IS Bankasi Kultur Yayinlari (トルコの大手銀行文化出版部)。街の本屋で販売している。日本の大手銀行は果たしてこのような出版活動をしているのだろうか・・・・

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           サインの後に、「笑心」という判をおしてくださいました

162訳者はエシン・エセン(Esin Esen)さん、驚くべきことに彼女はまだ一度も日本の土を踏んでいないという事実。 イスタンブルのボアズチ大学でトルコ文学を専攻後、アンカラ大学で日本文学を学び、平安時代の女流文学に興味をそそられたという。 遠くて近い日本とトルコの未来のためにも、またまた、御簾に篭って新しい翻訳の挑戦に期待したいと思います。

2013年2月11日 (月)

その後の『チョコ』 

友人の愛犬(ペキニーズ)「チョコ」の近影が送られてきました。 生後半年になってお散歩の許可もでたそうです。 おしっこも決まったところにするようになったけれど、お客が来ると嬉しくて、玄関先でチビったり、人間の食べ物を与えたらドッグフーズを拒否するようになったり、叱ると寄り付かなくなったり・・・・・まあ、人間の子供と同じですね。

鍵っ子ならず、鍵犬なので昼間は淋しく過ごしているのでしょう。だからと言って人間様の餌なんぞ与えてはいけません!バレンタインだからと言って「チョコ」なんてもってのほか!

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                   何かくれるのかな?

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                   あ~ おいしかったア

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                  何もくれないんならもう寝よう!

2013年2月 4日 (月)

「セサミストリート」の素敵な女性

イスタンブルのベイオール地区には「セサミストリート」という短い通りがある。ギリシャ系のトルコ人が多く住んでいる地域の新市街。高台なのでボスポラス海峡も望める。 そんな素敵な環境の中で未亡人のエリズさんはいつも編み物や刺繍などの手仕事をしているのだという。 訪ねた日も西洋風な(イスラム風ではない)たたずまいの中で編み物をしていました。 

どこかアガサ・クリステイのミス・マープルを彷彿させるやさしい風貌。 一目で気に入ってしまった。 

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この手作りビーズのブレスレットの山は、ボランテイアのためで売上金を貧しい人たちに寄付するのだとか・・・2つの作品をプレゼントに頂きました。 老いても素敵な生き方をしている人にはふらふらっとしてしまう・・・これはある種の「恋」なのか?是非またお会いしたいと思います。

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