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突然の身内の不幸、それも単身者の場合には気が遠くなるような作業が延々と続く。 先ず、室内の家宅捜査から始まり、重要書類を見つけ出し、負の遺産プラスの遺産を見極め、役所に通い、勤務先への挨拶、猛暑の中をあちらこちらを駆け回り、・・・・悲しんでいるヒマがない。 特に子供に先立たれた老親の心境は経験者でなければ理解できないことだろう。
まもなく終戦記念日というものがやって来るが、当時の親たちは「お国のために、天皇のために死んで来い!生きて帰るな!」などと日の丸を振りながら息子たちを見送ったという。 今思えば、何とバカげたことか・・・・・オリンピックの日の丸は嬉しいけれど、そのときの日の丸は何とも空しい。
鉢の雑草をそのままにしていたら可愛い花が咲いた。生命力とはこういうものか・・・・
「ジャーナリスト+作家」の視点で鋭い感覚に溢れた文章に感動することが多かった。 数年前、脳出血で倒れ、ガンを発症した後は、さらに弱者としての眼差しが加わり、鋭さの中に優しさが加わったような気がする。半身不随で片足を引きずりながらのリハビリ散歩、途中のカフェで一休みしながらも鋭い人間観察に余念が無い。一章一節が遺書のように遺言のように真剣なのだ。あまりに鋭すぎて読むほどに感動とともに辛さがこみ上げてくる。真実を受け入れるのは大変なことなのだと「溜息」がでる。
暖かくて軽~い真綿の布団をかけてあげたい。しかし、彼は言うだろう「おばさんの方が寒そうだよ。自分にかけなさい」と・・・・著者が果たしてせんべい布団で寝ているかどうかは知らない。
・・・・・「今どきの世の中の悪口を言うのはやめよう、昔より特に今のほうが不幸だというわけじゃないんだから」のせりふごときで自己抑制するのは今後はやめにすることにした。いまどきの世の中はやはりもっと悪口を言われて当然なのだ。
世界の涙の総量にしたって、不変もなにも、さんざ泣かされてすでに泣き涸れたのかもしれないではないか。問題は四十年来待ちつづけている「なにか」である。
先日その「なにか」にふと気がついてぞっとした。「なにか」はこれからやってくるのではなく、じつは、すでに訪れているのだ。
戦争も恐慌も狂気も底なしのすさみも、見た目は安穏とした日常のなかにおどろくほど細かにもみこまれ、うまくコーテイングされ、あたかも正常めかし正気ぶって、とうにここにやってきている。私たちはそれに気づいていない。たぶん永遠に気づきたくないのだ。・・・
(「なにか」がやってきた より抜粋)
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