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2011年10月

2011年10月30日 (日)

「ハロウイン」はかぼちゃの日? 

在イスタンブルの友人が成田から我が家へたどり着く途中「オモシロイからから買ってきたわ」とミニカボチャとオレンジ色のけいとうの花を抱えてやって来た。 中近東やヨーロッパでは騒いでいないらしいので刺激的だったらしい。  

それにしても、巷ではカボチャ色の品々が溢れているのは何なのだ?バレンタインデーのように商戦の罠にはまっているだけ? カボチャのグッズやケーキ、クッキー等々。 スポーツクラブの太極拳の先生までがハロウイン衣装で登場!となると開いた口がふさがらない。 もしかして、幼稚園や保育園でもカボチャのお祭りをしているのかな? ケルト人の収穫感謝祭に由来するというハロウインがなぜ日本でブームになるの?おばさんは「冬至カボチ」の伝統を守る方が遥かにスバラシイと思うのだが、「冬至ってナニ?」と言われそうだ・・・・・・

R0011581                 カボチャには変装シールまで付いている

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2011年10月25日 (火)

「花梨」の味

花梨(マルメロ)の味はどんな味? 日本では喉に良いとかで「花梨酒」や「花梨飴」、たまにジャムなどにして食べるものだと思っていたのだが。 トルコではリンゴのようにそのまま食べるのが主流らしい。 今朝、もいできたからとオバサンに戴いたので、言われた通りにリンゴのようにして食べてみたら、エグイ! 

10ほど前、黒海近くのトカットという街で知り合ったオバサンの家の庭に生っていた小さな不揃いの『リンゴ』を食べたら、やはりえぐかった。 日本の改良に改良された、見目麗しく甘い果実を食べなれている身にはそんな風に感じられるのだろう。 所詮、果実はアダムとイヴの時代からエグイものであったのだろうと納得。 

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                       日本の花梨はもっとスマート?

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2011年10月22日 (土)

アメジストセージが咲いた

我が家の小さなハーブガーデンに紫色の花が咲いた。ハーブは好きなのに、なかなかも名前が覚えられない。 枯野のような花壇に一際目立つ濃紫色、根元には名札があった。 まさにアメジストのような色、一昨年の春に植えたハーブの中の一つ、想いだしたように咲いてくれた。 ハサミを入れてしばし鑑賞することに、他に白や赤紫もあって疲労回復にも良いのだとか・・・・ R0011576 R0011577                    よ~く観るとベルベットのような感じ

2011年10月15日 (土)

武藤類子さんのスピーチ ~ 9・19さようなら原発

こんな事態になっているのに日本人はどうしてデモをしないの?と不思議がる外国人もいる中で、遂に9月19日の「さようなら原発集会」は6万人の参加者で明治公園を埋め尽くした。当日の様子は一部マスコミでも報道されたけれど、大手Y紙では6万人を5万人として小さな記事で簡単に締めくくったとか、フランスには流さないように配慮したとか・・・・相変わらずの隠ぺい工作に従事しているお役人がいるのは嘆かわしい限り。

「ハイロ(廃炉)アクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんのスピーチyou tube を友人から受信。しっかり力強く、切実なスピーチに感動し、同郷にこんなステキな女性がいることを誇りに思った。福島原発は東京電力の所有で東京の電力なのに我々東京都民は「対岸の火事」として認識しているのではないだろうか?自分のところに火の粉が飛んでこなければ良いと・・・ http://www.youtube.com/watch?v=5xdszFXI2J0&feature=related

  Image_4                      スピーチする武藤類子さん

ほんの一部だけ転載:

 3月11日を境に、大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。 そして、今、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは

  • 真実は隠されるのだ
  • 国は国民を守らないのだ
  • 事故はいまだに終わらないのだ
  • 福島県民は核の実験材料にされるのだ
  • ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
  • 大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
  • 私たちは棄てられたのだ

どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか、誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思い出しましょう

2011年10月13日 (木)

父と息子

秋のある日、ブルーモスク(イスタンブル)をぶらついていたらこんな光景に出会った。父と息子とお見受けした。どんな会話をしていたのだろう・・・・

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『もう暑くて、こんなの着てられないよ! じゃあ、脱いで裸になればいいさ! 裸なんてイヤだよ~』・・・・ こんな写真撮るのは「ばばらっち」だという話もあるけれど、「息子」がとってもおいしそうだったので、つい

2011年10月 8日 (土)

救援「まつり」 ~ 川越

まだまだ暑い9月18日、東日本大地震救援活動の第四弾が川越「蓮繋寺」境内で開催。

R0011513                     今年のうどんはどうなるだろう

今回の支援先はフクシマの南相馬市、地元出身の若者達も参加、縁日のようにうどん、珈琲、餃子、お米、野菜、生ビールなどが売られた。おばさんは『焼きオニギリ』を180個焼いて飛ぶように売れて、完売。R0011510_2R0011520_2                  傘の中は果たしてイケメンか美女か・・R0011525                       老若男女入り乱れR0011496R0011507_3                        日頃の腕を披露

ロックバンドあり、和太鼓あり、越中おわら盆踊りあり、さすが町興しの天才。余興に集まった民衆は多かったが、肝心の義援金はそれほどでもなかったらしい。一体どのぐらい集まって何に支援したのだろうか? その辺が見えてこないのが残念!噂では一企業が南相馬の子供達を鬼怒川のプール付きの温泉に連れて行き、そのレクリエーション費用に当てたのだとか。 町の主催者側はこんな形で10年ぐらいは支援を続けたいとのこと。 

 R0011498                     売り手も踊りにみとれて・・・

R0011540_3                  お疲れさまでした~(お酒も相馬に届けます)

順西宏生氏の句誌「流離」10月号の編集後記:このような支援ができたらいいですね。

 熊本出身で大船渡在住の画家から8月31日付けの「東海新報」が届いた。そこには大船渡市三陸町越喜来の泊地区には熊本在住の友人達が送った支援物資が届いたことをしらせる記事と写真が掲載されている。 この記事に感心したのは支援物資の送り手から受け手までの経緯がよく分かるように書かれていることである。金銭や衣類などを被災者に送った人は多い。しかし、その行方を知っている人は少ないのではないか。こういった形の被災地への支援の輪は他にも数多くあり、日本人の共生、連帯、希望を作り出していると思われる。「東海新報」の「東海」は啄木の「東海の小島の磯の白浜に・・・・」から名付けられたとのこと。

逢へば語る地震の記憶や秋の風  -  宏生

2011年10月 2日 (日)

「ピッタリの靴」を求めて

 加齢とともに物欲が減退、されど「靴」への欲望は果てしなく・・・・・ 若き日は新しい靴は靴ズレがして当然とばかり、ムリを承知で靴に足を合わせていた。40歳も過ぎるとムリも効かず、靴屋をウロウロすることに、銀座のYの靴など、何足買っては棄てたことだろう(今でも店の前を通ると恨めしくなる)。

R0011544     (夏はなんと言ってもこの草履が涼しくて快適だが、どこまでも歩くわけにはいかない)

シューフィッターという言葉もチラホラ出始めて、それでもピッタリの靴は見つからす、忍耐の果てにやっと馴染んだころにはヨレヨレ。そんな靴にはモード誌に出てくるようなドレスは似合わず、必然的にカジュアルになる。それでも、日本の靴文化は少しずつ少しずつ進化して、中高年向けでも多少オシャレな靴も出回り始めた。

靴屋の名店主は言う「丸い足に四角い靴は合わないのです」、いかに補正して履き安くする靴をつくるかが問題。足も骨格の一部、年齢・体重によっても異なるし、先祖代々のDNAが影響する、下駄・草履文化の大和民族には殊更に西洋のかっこいい靴は諦めるしかないのだろうか。ここしばらくはアシックスのペダラを愛用していたのだが、2割引ということもあって、ドイツ製の高級=高額靴を購入してみた。 これで毎日しっかり歩ければ、安いものになるだろう・・・・どこまでも歩いて行きたいものです。

R0011546                   (Finn Comfort made in Germany 円高の割に高額)

  須賀敦子の「ユルスナールの靴」のプロローグはこんなふうに始まる。

きっちりと足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。

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