加齢とともに物欲が減退、されど「靴」への欲望は果てしなく・・・・・ 若き日は新しい靴は靴ズレがして当然とばかり、ムリを承知で靴に足を合わせていた。40歳も過ぎるとムリも効かず、靴屋をウロウロすることに、銀座のYの靴など、何足買っては棄てたことだろう(今でも店の前を通ると恨めしくなる)。
(夏はなんと言ってもこの草履が涼しくて快適だが、どこまでも歩くわけにはいかない)
シューフィッターという言葉もチラホラ出始めて、それでもピッタリの靴は見つからす、忍耐の果てにやっと馴染んだころにはヨレヨレ。そんな靴にはモード誌に出てくるようなドレスは似合わず、必然的にカジュアルになる。それでも、日本の靴文化は少しずつ少しずつ進化して、中高年向けでも多少オシャレな靴も出回り始めた。
靴屋の名店主は言う「丸い足に四角い靴は合わないのです」、いかに補正して履き安くする靴をつくるかが問題。足も骨格の一部、年齢・体重によっても異なるし、先祖代々のDNAが影響する、下駄・草履文化の大和民族には殊更に西洋のかっこいい靴は諦めるしかないのだろうか。ここしばらくはアシックスのペダラを愛用していたのだが、2割引ということもあって、ドイツ製の高級=高額靴を購入してみた。 これで毎日しっかり歩ければ、安いものになるだろう・・・・どこまでも歩いて行きたいものです。
(Finn Comfort made in Germany 円高の割に高額)
須賀敦子の「ユルスナールの靴」のプロローグはこんなふうに始まる。
きっちりと足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。
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