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2005年秋、「コンニチワ」と背後から声がした、振り返るとニコニコ顔のおじいちゃん。 地元大学の日本語科の先生だと思ったらしい。お茶を飲んでいかないかと言う。 たまたま断食月だったのでお茶飲んでいいの?「私はイスラームじゃない、スペインのトレドから来たユダヤだから」ということで店に寄ってお茶をご馳走になった。
靴屋と言っても革靴などはなく普段履きのズック靴やサンダルなどがところ狭しと置いてあり、Yasar Sporという店の看板が軒下にクルクル舞っている、高級店とは程遠い店構えだ。 いろんな人たちがやって来る。街のドクター、大学教授、学生、新聞記者、商店街のオジサン、ロマの人たち等々。 そこはチョットした地元のサロンになっていた。
今年の2月、おじいちゃんは突然消えてしまった。 年々糖尿病で歩行困難になってはいたのだが、直接の原因は自宅での転倒骨折で手術を受けた時の出血多量とのこと。
海の見える丘の林の中にイスラーム墓地と並んでユダヤ墓地もあった(バリケードはない)。 真新しい墓碑には、「チャナカレのシンボルだった」と記されていた。
15世紀にスペインから追放され、オスマン帝国に受け入れられて以来、居住するようになったユダヤ人達は多い。彼らは親から代々伝承された古いスペイン語を話すが、ヘブライ語を話せる人は少ないようだ。
Yasar Yohay享年73歳。 シナゴークの前の通りは市民の申請で「Yasar Yohay通り」と名付けられた。 安らかに眠って・・.・・・シャローム!
首都アンカラからバスで2時間、オスマン時代の古い木造の家が立ち並ぶ内陸の街、Beypazar。 街の中央には何故かニンジンタワーが建っている。 古い路地を歩くと昔ながらの店が軒をならべる中、おばさんがニンジンを搾って売っていた。 リンゴやレモンを全く入れない純粋なるニンジンの手絞りジュースをペットボトルに入れてくれる。 ニンジン独特の匂いもなく甘くて美味しい。 ジュースを飲みながら街を散策していると「口の周りが赤いよ」と笑われた。 みじん切りのドライニンジンでピラフとスープを作ってみた。 それがまた甘味があって美味しいのだ。 いわゆる町興しの一環らしいが何故ニンジンなのか? 確認するのを忘れた。
さをり東京適塾で講師をしていたもりあきこさんがご主人の転勤を機に香港=東京を往復しながら、さをり作家としての一歩を踏み出した。 清澄Room Gallery楽庵で個展が開催中である。 どの作品も彼女の個性が光っていてアートとしてもスバラシイ! 今後の活躍が期待される。
我が家の書棚には古~い本が2冊ある。 坪内逍遥訳「ロミオとジュリエット」と英語版、倉田百三の「出家とその弟子」である。 2冊とも友人の亡父(英語教師)の書物であった。 家の解体時に譲り受けたものである。 かなり色あせてはいるが本好きの友人が来訪するたびに見せびらかしている自慢の本であり、私の宝物である。
「ロミオとジュリエット」早稲田大学出版部発行の明治43年版。 表紙にはシェークスピアの肖像が金箔で押してある。その日本語の表現には思わず顔がゆるんでしまう。
ロミオ: 物を言うたわ。おお、今一度物言うて下され、天人どの!そなたがさうして高いところに光り輝いていやしやるのは驚きあやしんで、後へ退り、目を白うして仰いで見る人間共の頭上を、翼の生えた天の使いが、除かに漂ふ雲に騎って、虚空の中心を渡るやう。
ジュリ: おお、ロミオ、ロミオ! 何故にそなたはロミオじゃ! 父御をも嫌ひ、自身の名をも棄てや。それが否ならば、せめても予の恋人じゃと誓言しや。予やもうキャビレットをやめうほどに。
「出家とその弟子」 THE PREIST AND HIS DISXIPLES Translated by Glen W. Shaw
大正11年北星堂出版、薄いブルーの絹に蓮の花の装丁、出版時にはどんなにか美しかったことだろう・・・いとおしさを感じる。
Man : I want to see your face.
Being: It cannot be.
Man : Not possibly?
Being:That wish is beyond your station. So long as your eyes are impure
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