まだパジャマ姿なのに、ピンポーン!
なんだろう・・・と出てみると、「甘夏」のジャムでした。洗練された美味しさです。 送り主は友人のママ友のハルエさん。 いつもこの季節はジャム作りに精を出すのだとか。 ハルエさんはお嬢様。音楽はクラシックから宝塚まで、教養があって、優雅なのです。親族には著名な作家や画家がいても、決して自慢などしません。グチや他人さまの悪口も聴いたことがありません。
背が高く、ほっそりとして、ケリーバックが良く似合います。私のようにショルダーバックを斜めにかけたりはしません。仕草がとても素敵です。紹介されてもう20年になるかしら? 友達の友達は友達??
わが家の猫が舐めてしまいそう
カードにはふたの開け方が丁寧に書いてありました。
先月(5月)は二人の老姉が相次いで逝った。田舎在住の姉は生まれ育った町で教師としての一生を終わった。 葬儀はコロナを理由に欠席(田舎ではまだ偏見が・・・)。
二人とも、昭和と平成を生き抜いて、令和に入ってからは健常者ではなくなっていた。コロナのせいでこの2年は会わずじまいだった。
「サピエンス全史」を読み終えたばかりだっという読書家の姉の棺には「世界」と「図書」。庭に咲いていたラヴェンダーとローズマリー、そして藍染人形に好物のゆで卵を入れた。シングルマザーとしてドラマチックな人生を送り、希望通り無宗教の小さなお葬式。なかなか簡素で良かった。5人の孫たちの涙のスピーチも良かった!
花もヒトも最後は枯れ果てるということをつくづく思う。 プーチンだって同じサ。
かなり孫愛の強い友人(男性)からメールが来ました。一人で読むにはもったいないので掲載することに。
わがマゴじゃなくても、かわいいですね。こんなご時世に、どんな大人に成長するのか楽しみ。子供は実にオモシロイ動物ですね。昔は誰でもこどもだったのに・・・。
火曜と土曜は孫と2人で過ごすのですが、先週の土曜日のことです。
ソファーに座って一緒にテレビを見ていました。ちょうど自由が丘の街を紹介していました。すると、”が”の使い方に違和感があったのでしょうか。孫が
「”自由が丘”って変」と言うので、説明しました。
「”が”の意味は、”〜の”っていう意味で、自由が丘は”自由の丘”だよ。ここは”光が丘”だろ? だから”光の丘”っていうことで、光あふれる団地という意味を込めてるんだね」
あまり反応がないので、さらに説明。
「”が”の意で、さらに説明。
「”わが国”っていう言葉知ってるだろ?」
「うん」と孫。
「”わが”の”わ”は、昔の言葉で”わたし”という意味だ」
「ふーん」と孫。
「だから”わが国”は、”わたしの国”という意味になる」というと、頷いているので一安心。
すると次の瞬間、孫がいきなりソファーに立ち上がったんですね。そしてやおら尻を僕に突き出してプッとやった後、僕の顔を覗きながら「わがおなら」と言ったのです。おかしかったですねえ。思わず孫の尻を叩いて大笑いしながら、彼女の成長をつくづく実感したことでした。
辺見庸という作家が気になる。不定期の1~2行の彼のブログを読んでいる。大病を患っていると聞くので、不掲載期間が長くなると心配になる。観念的で意味不明な表現も多いけれど、掲載確認できた時は、安否確認的に安心する。
生活クラブの冊子「生活と自治」には毎号執筆している。6月号には「砕かれた世界」と題して次のような言葉をよせているので部分的に抜粋してみた。
信じるにはあまりにも悲惨すぎる事態にわたしたちは直面している。なぜこれほどの殺戮を止めることができないのだろう・・・そう問うのは愚かだろうか? ナイーブにすぎるだろうか?いや、愚かでもナイーブでもない。答えに窮し、思考を停止して、目と耳を現実から逸らしているいるのだ。あるいは率直な答えが怖いのである。
活気づいているのは軍需産業だけではない。戦争の尻馬に乗って憲法改正を求める者たちの声が護憲派を動揺させているようにもみえる。わたしをふくむ9条護持派はなにがなし旗色がわるいようだ。ウクライナ情勢のダイナミズムが<軍備拡張は当然>という空気を醸しているからである。
ロシア軍のウクライナ侵略はわたしたちになにを教えているだろうか。西米軍事同盟の強化だろうか。戦争への自前の備えと覚悟だろうか。言葉。軍備ではなく、言葉が足りていない。ウクライナ現政権はネオナチによって支配されているというプーチン大統領とその支持者たちの大いなる「妄想」を解く言葉がまったく不充分である。
「わたしは他者が死ぬことについて有罪である」「他者の死はわたしのことがらである」 ー フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906~1995)の言葉をいまはおろおろとなでさするばかりだ。
「暁の宇品」(暁の宇品陸軍船舶司令官たちのヒロシマ)を読んで、著者の洞察力と取材力に敬服。広島生まれの広島育ち。大学も広島という著者の背景。他の作品も読みたくなって手にしたのが本著である。
「教誨」とは広辞苑によれば 1)教えさとすこと 2)受刑者に対して刑務所で行う徳性の育成を目的とする教育活動。宗教教誨に限らないとある。
外国映画などで、死ぬ間際に牧師が立ち会う場面がしばしば見受けられるが、相手が死刑囚ともなればどんな対応ができるのか、興味深かった。
著者が取材してきたのは、14歳でヒロシマを体験し、50年間死刑囚との対話を続けてきた僧侶の渡邊普相(1931-2012)氏。
死刑判決受刑者は執行日まで拘置所に留め置かれ、面会や手紙などの外部のやり取りを厳しく制限され殆どを独房で過ごす。教誨師は唯一面会できる民間人であり、執行現場にも立ち会う。それも無報酬で。
受刑者の色々な例の中で、印象的だったのは「三鷹事件」の竹内景助の例である。昭和24年国鉄三鷹駅で起きた、無人電車暴走事件(線路わきで6名が電車の下敷きで死亡)。人員整理に反対する国労の犯行との筋書きで捜査。共産党員9名と非共産党員の竹内が逮捕。なぜか、竹内だけが死刑判決。最高裁の法廷は「八対七」の僅差で竹内の死刑判決を確定させた。一票を争う死刑判決。そのせいか執行はされず、脳腫瘍で獄死。
まだ記憶にある大久保清はいくら教誨を薦められても「自分は宗教は信じないから」と頑なに固持したという。
読むほどに、深い人間の闇に吸い込まれる。
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